【第315回】『THX 1138』(ジョージ・ルーカス/1971)

 時は25世紀。人類はコンピュータが支配する地下に広がる世界で、精神抑制剤を投与されながら機械的管理の下、登録番号で呼ばれながらさまざまな作業に従事していた。しかし主人公のTHX1138(ロバート・デュヴァル)と女性のルーム・メイト、LUH3417(マギー・マコーミー)は抑制剤の投与をしない日々を続けてしまい、次第に“人を愛する感情”が目覚め、この世界では禁止されている肉体関係を交わしてしまう。尚かつ薬の未投与のおかげで毎日の作業にも支障をきたしはじめ、その事を知ったコンピュータはTHXを投獄し、裁判にかけようとするのだが……。

ジョージ・ルーカスの記念すべき長編デビュー作。ルーカスが南カリフォルニア大学在学時に撮影した短編映画『電子的迷宮/THX 1138 4EB』が元となり、フランシス・フォード・コッポラの声かけにより製作された。ルーカスは卒業後、ワーナーのスタジオに研修目的で入るが、その時に偶然『フィニアンの虹』を撮影中のコッポラと出会って意気投合し、ハリウッドのシステムに強制されることのない映画制作者のための環境を作ることを目指して、コッポラが設立したアメリカン・ゾエトロープ社の副社長に就任。まだルーカス・フィルムを設立する遥か昔である。25世紀においては人間とコンピューターの関係は逆転しており、どういうわけか人間がロボットに管理される生活を送っている。今作はまるで刑務所のような窮屈な地下組織が舞台となっており、70年代のカリフォルニアの風景は一切出て来ない。そこに見られるのは、白い壁に囲まれた発狂するような空間であり、ここでは人間たちが互いを登録番号で呼び合いながら、機械のような生活を送るのである。

後に開花することになる『スター・ウォーズ』シリーズの大河ドラマのような幾重にも連なる複雑なタペストリーはここにはない。出演はルームメイトとして管理社会に放り込まれることになるロバート・デュヴァルとマギー・マコーミー、SEN-5421に扮した名脇役ドナルド・プレザンス、そしてHologram SRTに扮したドン・ペドロ・コリーくらいであり、ミニマムな世界と極力台詞を排し、ショットの構成に心血を注いだであろう映像世界からは、実験映画との親和性をありありと感じる。それと共に、今作が影響を受けているだろう作品として、60年代末の反権力の象徴である『イージー・ライダー』が挙げられる。管理社会とは同調圧力と等価であり、その抑圧をあまり感じない者にとっては、何も考えずに食べて寝るだけの生活をしていればいいが、アウトローには窮屈でとても耐えられないのである。

主人公であるロバート・デュヴァルがコンピューターに管理される規律社会の中で、規律を破りマギー・マコーミーと抱きあう場面は、後の『スター・ウォーズ』におけるアナキン・スカイウォーカーとアミダラに置き換えるとわかりやすい。ジョージ・ルーカスの映画においては男女の触れ合いはしばしタブー視されるが、主人公はその鉄の掟を幾つかの葛藤を超えて、いとも簡単に破ってしまう。表情の見えないロボット警官のイメージはそのまんま『スター・ウォーズ』におけるストームトルーパーに移行し、序盤で彼らが組み立てるロボットはC-3POに移行したと見るのは邪推だろうか?

抑圧下における国民のささやかな楽しみは『スター・ウォーズ』において度々描かれてきたが、今作ではまるで精神病院のような閉鎖的で抑圧された空間から、ロバート・デュヴァルが果敢にも脱走を試みる。考えてみれば今作における管理社会の黒幕や実質権力者とはいったい誰であろうか?モニターの向こうにその姿を確認することは出来ないまま、主人公は管理社会という現実からの逃避を試みる。随分と手薄なセキュリティの裏をかき、ロバート・デュヴァルが脱走した先にはやはり追っ手がついてくる。しかし彼らは後ろから前方にいるターゲットを襲うことはしない。無表情なロバート・デュヴァルも人間を殺すことはない。そこで行われているのは紛れもなくカー・チェイスに違いないのだが、どこか図式的でアクションが沸き立ってこない。

男にとって守るべきヒロインや、社会の敗者となった主人公に対する巨大な権力者は遂に出てくることはない。しかしながらこれは紛れもないアウトロー映画であり、SFというジャンルの中で実に純粋な反権力の映画である。どんな巨匠にとっても処女作はいつも純粋無垢な表現で溢れているが、ジョージ・ルーカスのそれは中でも随分とピュアな表現で埋め尽くされている。ルーカスは20代の時にしか撮れない映画を撮っていたのである。

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