【第380回】『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー/1955)

 冒頭、富士山の麓を走る列車が急停車し、線路上に寝ている人を怒鳴りつけ無理やり叩き起こす。随分人騒がせな男だと車掌が抱き起こした途端、倒れていたはずの男が突如豹変し、凶行に至る。列車はあっという間にジャックされ、日本軍とアメリカ軍の共同で進めていた兵器の輸送はあっけなく頓挫し、列車ごと盗まれてしまう。この一連の凶行をシネマスコープならではの横長の画面で据えた導入部分の活劇が文句なく素晴らしい。今作はB級映画の旗手と呼ばれたサミュエル・フラー初めての海外ロケの作品として知られている。『鬼軍曹ザック』では朝鮮人を捕虜に捕り、『地獄と高潮』では北海道から数十kmのところで行われる水爆の調査に向かっていたが、フラーのアジア(東洋)への尋常ならざる思いが吹き出した快作に仕上がっている。東京警視庁のキタ警部(早川雪洲)はアメリカ憲兵隊と協力し、ハンスン大尉(ブラッド・デクスター)と共に捜査に乗り出す。数日後、ギャングは東京の工場を襲い、その時傷ついた一味の1人ウェッバーが逃げおくれて死ぬ。ハンスン大尉は男の所持品の中からスパニア(ロバート・スタック)という男の手紙を発見し、その内容から、スパニアがアメリカの刑務所に入っていること、出所したら東京へ来ることなどが判明する。またナゴヤマリコ(山口淑子)という日本人の女性の写真も発見され、この女はウェッバーと結婚していたのである。

愛した男の死、それと入れ替わるように突然現れた男との禁じられた恋が今作の重要な核となる。スパニアは第二次世界大戦でアメリカ軍に従軍していたが、部隊の規律を破ったことが元で、戦争から10年経った今でも牢屋に入れられている。フラーの映画ではしばしば金のために祖国を離れ、海を渡る男の姿が描かれるが今作も例外ではない。スパニアはウェッバーを頼って遠路はるばる日本へと足を運んだわけだが、そこにウェッバーの姿はない。途方に暮れたスバニアはまず彼の妻だったマリコに会い状況を確かめようとするが、疑心暗鬼に陥ったマリコはスパニアの尾行から逃げようとする。対する親分サンディ(ロバート・ライアン)一派もアメリカ軍の残党兵であり、戦後マッカーサーが整備した敗戦国日本で威張り散らしていた。表向きはパチンコ屋の元締めとして、しかし裏では悪どい商売を行うギャングとしての性質を持っている。サンディというのは自分の望みであれば、どんな人間も躊躇なく殺すような大悪党である。サンディとキャメロン・ミッチェルが演じた彼の右腕グリフとの関係は50年代には珍しい同性愛を暗喩的に描いている。グリフはサンディによるスパニアの歓待が心底気に入らない。この男同士の三角関係が来るべきクライマックスへと緊張感を持続する。

信じていたグリフが警察にタレ込んだと信じて疑わないサンディの怒りが、爆発するクライマックス場面はフラーならではの直情的なタッチで描かれる。彼の処女作『地獄への挑戦』では尊敬するボスと長年行動を共にして来た部下が、風呂に入る親分の背中を至近距離から撃とうとして撃てなかったが、サンディはドアを開けた瞬間、グリフを正面から躊躇なく撃ち殺す。その愛憎入り乱れた激烈なタッチがいかにも組織のしがらみをさらけ出すかのようである。結果、組織のボスが裏切ったと思った人物はシロで、実はスパニアが黒だったと知った時のサンディの狼狽ぶりと逆上は、タランティーノ以前の裏切りと復讐の主題の真骨頂である。クライマックスに登場した浅草松屋の屋上にあったスカイクルーザーという絶好のロケーションでのカメラを3台セットしての銃撃シーンのショットの構図の見事さには舌を巻くほかない。シネマスコープのフレームの贅沢さが、クレーンを駆使したカメラワークと折り重なり、見事な化学反応を起こした素晴らしいクライマックスである。エキストラの子供達も心なしかこの緊迫した場面を楽しんでいるようにも見える。

フラーが日本で切り取った浅草や銀座の街並み、東京や横浜の風景や当時の庶民の風俗、何気ない人々の日常の描写は当時の日本に生きていた人にとっては顰蹙モノだったようだが、フラーの着眼点の面白さは21世紀の今振り返ると初めて惹きつけられる種類のものだったかもしれない。スパニアがようやくマリコを捕まえるのは公衆浴場(銭湯)であり、フラーはこの場面に別段、女湯やセクシーな裸体を入れたかったわけではなく、純粋に大勢の他人同士が肌付き合わせて一緒にお風呂に入るという奇妙な日本文化に何かを感じ取ったのかもしれない。露骨に入れ込んだ縁日の風景、小さな交番、パチンコ店、商店街、河岸に建てられた家などのロケーションの造形の豊かさと日本の風俗・風景は、そのまま当時の日本の文化を据えた貴重なドキュメンタリーとも言える。中盤以降、サンディのアジトとして出て来る部屋はハリウッドで製作されたセットだろうが、それ以外の場面はほぼ完璧に近い形でロケーション撮影している。途中、横浜の埠頭での銃撃戦はまるでイタリアのチネチッタのようである。

映画そのものはウィリアム・ケイリーの『情無用の街』のリメイクとされているが、そこで繰り広げられる活劇は『情無用の街』とはまるで違う。仁義の世界に生きるマフィアの組織に囮として侵入した男が、親友の妻との避けられぬ思いや正義の裁きを前にもがき苦しむ。当初は必要に迫られてマリコを躊躇なく騙した主人公が、徐々にマリコの清らかさに良心の呵責に捉われる中盤以降の心理描写が素晴らしい。スパニアは親分サンディ(ロバート・ライアン)の手前、彼女と夫婦のように行動を共にすることになるが、そこで気の強い女との間で彼が交わす異文化コミュニケーションの素晴らしいアイデアが実に朗らかな印象を残す。朝風呂に入るスパニアの横で、マリコはトーストの上に卵焼きを乗せる。シングルにするのかダブルにするのかの問いかけに、ポーチド・エッグと答える男と女の恋の淡い始まりの描写は気恥ずかしいが、フラーはいつものように突然キスをさせず、2人の距離の縮め方をいつにもましてゆっくりと丁寧に描こうとしている。2人の口づけが最後まで見られないのは、フラーの当時の日本文化への愛情であり、遠慮だろう。今作が描いた異文化に生きる2人の恋は、当時としては画期的だったのである。

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