【第402回】『リリーのすべて』(トム・フーパー/2015)

 薄暗い空が拡がる印象的な沼地、手前に残雪を臨む典型的なフィヨルドの湿地帯、そこに無造作に立つ5本の細長い白樺の木々。男はデンマークの数々の印象的な風景の中でも、故郷であるヴァイレの景色に魅せられている。白いキャンバスに、子供の頃から何度も目に焼き付けたその風景を描きながら、男はゆっくりとキャンバスから視線を外し振り返ると、最愛の人を前に温和な表情で微笑む。1926年デンマークの都市コペンハーゲン、アイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)という名の男は、故郷ヴァイレを描いた風景画で美術界の注目を一手に集めている。印象的なブルーの瞳をした長身の男を愛し、その才能を尊敬し、支える献身的な妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)も同じく画家であり、肖像画を得意とするものの、残念ながら夫ほどの注目は集めていない。結婚6年目の夫婦は互いを愛し、アーティストとして尊敬しあいながら、マンネリを迎えていてもおかしくない6年目の夫婦生活を慎ましく送っている。狭い石畳の路地裏にひっそりと立つアパートメントの上階、6年目の夫婦ならばもう少し軽装で絵を描いても良さそうな雰囲気があるが、夫は縦縞のスーツにしっかりとネクタイを締め、どこへ出ても恥ずかしくない服装で黙々と絵を描いている。妻の方はもう少しカジュアルな格好をしているのが印象的だ。胸元の開いた寝巻き、柔らかい布地の水色のガウン、ノースリーブのワンピース、部屋でも着飾るお洒落なデンマーク人紳士の夫と、アール・デコの時代を軽快に生きようとした妻の対比が面白い。彼らは互いの欠けた部分を補いあいながら、夫は風景を、妻は人物をそれぞれ素描する。

ある日、妻のゲルダは親友でバレエ・ダンサーで絵のモデルだったウラ(アンバー・ハード)の代役として、夫に女性役を任せることになる。軽い気恥ずかしさを伴いながらも、妻のたっての願いを断ることのない男は靴下を脱ぎ、華奢な脚をストッキングへ滑り込ませる。ゆっくりと脛から膝を越えて、太股にまであげられるベージュ色のストッキングの艶めかしさ、柔らかな肌触り、その中に折り畳まれていくかのような金色の臑毛、サテンの靴に脚を滑り込ませる情景はまさにシンデレラの黄金の靴のような様相を呈し、夫は越えてはいけない一線をゆっくりと越えていく。捲り上げられたYシャツの袖から覗く血管が見えそうなほど色白の腕、夫はゆっくりと女性用のレオタードをスーツの上からあてがってみせる。男用のスーツから女物のベージュのストッキング、レオタードへの決定的変容が、そのまま男としての機能不全に陥る序盤から中盤の衣装による緩やかな転調は見事というより他ない。バレエ教室の衣装部屋の通路、妻の描く最愛の夫の絵と鏡のオーバー・ラップ、そういう一つ一つの道具立ての丁寧さが物語を滑らかに動かしていく。思えば夫が固執した題材、薄暗い空が拡がる湿地帯のどこか寂しさを感じさせるような風景こそは、アイナー・ヴェイナーの抑圧的な生き方そのものだったと言えるのではないか?この一瞬の悦楽に安堵感と満足感を得た夫は、徐々にアイナー・ヴェイナーという人格の内側に「リリー」という別のアイデンティティを見つけ出す。妻が素描した何気ないスケッチが幼い頃から抑えてきた自我を目覚めさせ、合わせ鏡のように彼を照らし出す。そして夫が真のアイデンティティを発見する機会を与えた妻のスケッチは皮肉にも、彼女自身にとって最高のモデルを提供し、見事フランス行きの切符を手にすることになる。

だが夫が解き放たれた自我を見つけ出す過程で、最愛の妻との生活は破綻の危機を迎えている。ヘンリク(ベン・ウィショー)の登場も危機だが、中盤以降それ以上に大きな役割を果たすのはハンス(マティアス・スーナールツ)である。かつての夫の幼馴染で親友だった初恋の男と最愛の妻との恋のトライアングルの緊密さを綴りながら、薄暗いデンマークから一転し、当時のパリのアール・デコの文化華やかなりし時代の風景をしっかりと抑えつつ、物語は終盤へと向かって行く。LGBT問題に端を発する夫婦の不和やトランスジェンダーの苦しみということでは、2012年のグザヴィエ・ドランの傑作である『わたしはロランス』を想起するが、それよりも一つ一つの衣装の選び方や道具立ての素晴らしさから、あまりにも美しいラスト・シーンに至るまで、トッド・ヘインズが描いた『キャロル』や『エデンより彼方へ』に非常に肌触りが近い。あちらは50年代のアメリカでこっちは20年代のヨーロッパだが、徹底した時代考証とイメージの積み重ねでクライマックスに至る緻密な描写はなかなか的を得ている。トム・フーパーの監督としての手腕は『英国王のスピーチ』から一貫して手堅い。性転換手術を迎えることになる夫と妻の別れの汽車の場面の手堅さ。パーティの場面、なだらかな階段を駆使してのヒロインの感情演出の上手さ。屋内シーンが大半を占める物語にもかかわらず、ダニー・コーエンの特徴的なロー・ポジションからの建物のエスタブリッシング・ショットの挿入のバランスの良い配置。その地に足のついた手堅さはハリウッド映画のあざとい商業的誇張とは一線を画す。しいて難を挙げるとすれば、数々の医者や唐突に現れた公園のゴロツキの描写が、ことごとく類型の域を出ないことだろうか?全体のバランスの部分でもう二点だけ言うとすれば、前半部分の夫の心情があまりにも唐突なのと、決定的にアレクサンドル・デスプラの書いたスコアが弱いことに尽きる。それでも決して才気走った独りよがりの演出をせず、一貫して静謐に綴った物語の説得力はなかなか見応えがある。

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