【第611回】『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(クロード・シャブロル/1995)

 あるパリのカフェ、足早に歩く都会の冬支度の中、女は目的の店が見つからず、かなり焦っている。カフェの前で人に場所を尋ねると、道路を渡った向こう側のあのカフェだと説明を受ける。その姿をカメラは道路の向かいから冷淡に見つめている。やがて横断歩道を渡り、ガラス越しに中を見やりながらカフェに入るソフィー(サンドリーヌ・ボネール)の姿。目的地の場所の捜索に戸惑い、懸念した雇い主カトリーヌ(ジャクリーン・ビセット)は既に席に着き、温かい紅茶に砂糖を入れ、2,3度口にしていた。女は足早に席に着き、少し悪びれた様子を見せながら、雇用主の話を神妙な面持ちで聞いている。港町サン・マロの外れの大きな屋敷に住むカトリーヌ一家は4人暮らしで、父母は画廊を経営する典型的なブルジョワジー家庭である。カトリーヌの言葉の中に「夫の娘」というフレーズがあったように、夫ジョルジュ(ジャン=ピエール・カッセル)の娘ジル(ヴァランタン・メルレ)は連れ子で、妻カトリーヌの息子ミリンダ(ヴィルジニ・ルドワイヤン)もかつての夫との間の子供である。この家族は父母が再婚し、姉弟は互いに異母兄弟という歪な関係をひた隠しにしている。ソフィーはずっと家政婦の仕事を続けており、これまでトラブルが一度もないことを強調する。カトリーヌは彼女の言動を見ながら、ソフィーが我が家の家政婦に相応しいかどうか値踏みしているが、5500フランで雇われていたとソフィーが話したところで、うちは6000フラン出すわと切符の良さでソフィーを口説き落とす。パリからサン・マロへの帰り道、港町の海岸線を走るカトリーヌの車を俯瞰するロング・ショットは、ようやく良い家政婦を見つけた家族の安堵を表している。

翌日の駅構内、いつもの位置に停車した緑色の列車の乗降客の中にソフィーの姿はない。カトリーヌは若干意気消沈しながら、タバコに手をかけるが、風を避けようと右側に視界を傾けた瞬間、ホームの奥に見知った顔を発見する。この時点で我々観客にはそこに誰がいるのかわからない。カトリーヌが視線を送った後、カメラはゆっくりと反対側のホームの奥に佇むソフィーのロングショットを据える。「なんだ、もう来てたの?」「1本早い列車に乗って着きました」用心深さなのか思慮深さなのか、ソフィーはそう答えただけで口籠もる。早速サン・マロにある豪邸にソフィーを連れて帰ろうとした矢先、思わぬ人物から不意に声がかかる。郵便局員のジャンヌ(イザベル・ユペール)が出勤の時間に間に合わないと、カトリーヌの車に相乗りを持ちかけて来たのだ。夫人は若干不服そうな笑みを浮かべながら、今日が初日のソフィーを前に無下に断るわけにも行かず、後ろに相乗りさせる。ショットは前方席に座るソフィーとカトリーヌ、後部座席に座るジャンヌとを正面から3ショットで映す。ジャンヌはカトリーヌの方を見ながら彼女に一切話しかけることなく、運転席にいるソフィーに微笑みかける。夫人は車内の気まずい空気が耐えられず、エクセレント・キールロワイヤルのタバコを弄る。シャブロルは冷徹に3人の女の意識のズレを、何気ない行動と視線の動きで演出する。やがてジャンヌの働き先である郵便局の前で彼女を降ろすと、カトリーヌ夫人は夫ジョルジュが心底毛嫌いするジャンヌの性癖を、今日が初めての仕事のソフィーに悪びれもせずに話し出す。初めて二階の部屋を訪れた際に案内されたゲスト・ルームで、テレビの中に観た「人間とは不正なもの」のテロップ、家政婦(メイド)を女中と呼んで憚らない家主の横柄な態度、エンストして停車した車を直したジルが、無意識にジャンヌに渡した真っ黒なティッシュ・ペーパーの悪意、どさくさ紛れに息子ミリンダがちょろまかしたタバコなど、幾つかの不穏な道具立てを駆使し、シャブロルはこの家族の破綻を一つ一つ明らかにしながら、徐々にソフィーとジャンヌの狂気の友情関係(共犯関係)にフォーカスしてゆく。

買い物リストの文字が読めず、ジャンヌを頼ってソフィーが郵便局を訪れた時、ジャンヌは当初ソフィーの視線にギョッとした様子で、口に含んだチューインガムを壁に貼り付けてやり過ごす。この時点でジャンヌは憎きジョルジュ一家で働くソフィーをほとんど信用していないはずだ。だが一家のヴァカンス中に留守の家に侵入し、祝いの席の準備から外れたソフィーが家に遊びに来たことで、2人の心は少しずつ打ち解けてゆく。ジョルジュ一家とソフィーのぎこちなさを、ぶつ切りにしたショットで見せるのに対し、ジャンヌ家での2人の様子は長回しカメラにそれぞれがフレーム・イン、フレーム・アウトしながらも、全く途切れることのない1ショットのカメラにぴったり収められる。このソフィーと対象者とのショット選択とフレームワークの差異こそが、階級差に阻まれた雇う側と雇われる側との残酷な距離を浮き彫りにする。

導入場面を思い返せば、そもそも看板のある目的のカフェに冷静沈着なソフィーが気付かないはずがない。書斎に居つこうとせず、買い物リストの注文をジャンヌに強請り、テレビのスイッチを一通り付け、家長ジョルジュの書類の捜索を放棄したソフィーの態度。観客がうっすらとソフィーのコンプレックスに気付き始めた矢先、ジルが彼女のサングラスを付け、週刊誌の俗悪な「あばずれ度チェック」なるものでカマをかける。貧しいソフィーがひた隠しにして来た失読症というコンプレックスが露わになる時、6000フランの給料を頂きながら、ソフィーの憎悪の炎はメラメラと燃える。ソフィーとジャンヌを友情以上の関係たらしめるのは、彼女たちが起こした陰惨な事件の記憶に他ならない。その後、何事もなかったかのように平穏無事に暮らした2人の狂気は、思いがけない出会いをきっかけに再燃する。衛星放送でモーツァルト作曲、カラヤン指揮、ドン・ジョヴァンニのオペラが流れる中、ブルジョワジー家族4人は仲良くソファーに座りながら、最近入れた衛星放送の場面を食い入るように見つめる。その平和な描写とは対照的な2人の女の狂気の反乱が凄まじい。階級差がもたらす悲劇は、ヨーロッパ全土がテロの悲劇に晒される現在とも無縁ではない。ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』と並ぶ陰惨極まりないラストを迎える物語は、皮肉にもサンドリーヌ・ボネールとイザベル・ユペールにヴェネツィア国際映画祭女優賞ダブル受賞をもたらした。

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