【第365回】『ベルベット・ゴールドマイン』(トッド・ヘインズ/1998)

 厚底ブーツにベルボトム、いわゆる英国ヒッピー風の出で立ちの女の子たちが熱狂的に何かを追っている。そこはビートルズが一時代を終えたばかりの大英帝国の街角であり、ブリティッシュ・イノベーションに陰りが見え、アメリカではウッドストックやヒッピー・ムーブメントが終わり、新たな時代の息吹が待たれていた時代である。その時代の転換期にスターは突如現れる。中性的なルックスと美貌、カリスマ性溢れる出で立ち、奇抜な衣装に身を包んだその男の名前はブライアン・スレイド(ジョナサン・リース・マイヤーズ)と言うのだが、明らかにデヴィッド・ボウイその人に違いない。彼は円盤型のスペース・オディティに乗り、突然この星に降臨するのである。80年代後半にはカレン・カーペンターの壮絶な最期のメタファーをバービー人形で奇抜に表現した『Superstar: The Karen Carpenter Story』でも見せたトッド・ヘインズのシニカルな批評眼は今作でも健在である。かつて「ジギー・スターダスト」という架空のロック・スターに扮したデヴィッド・ボウイの姿に倣い、二重三重の倒錯性で魅せる分裂症気味でシニカルなユーモアは、ヘラルド紙の記者アーサー(クリスチャン・べール)がスレイドと自己の同一化を図ることで果たされようとしている。彼はヘラルド紙の上司の指令により、無理矢理自らの思春期を回顧する機会に迫られ、結果的に人々の記憶から薄らいで行くばかりだったスレイドの記憶へと退行させる。偽装殺人によりこの世から一旦は消えたことになっているスレイドの姿はここでは回想のみの出演に留まる。物語はアーサーがスレイドと深い関わりのあった人たちの元を訪れることで、彼の面影を掘り起こしていくのである。

今作でデヴィッド・ボウイの栄光に満ちた半生の中で強調されるのは、ブライアン・スレイドとアメリカから来た“ワイルド・ラッツ”のヴォーカリスト、カート・ワイルド(ユアン・マグレガー)との運命の出会いだろう。明らかに観る人が観ればデヴィッド・ボウイとイギー・ポップだと類推される2人の関係性のうち、イギーの絶頂期であり、暗黒期でもある『淫力魔人』から『ラスト・フォー・ライフ』あたりの2人の蜜月を、ヘインズはゲイならではの視点でセンセーショナルに描いている。イギー・ポップとデヴィッド・ボウイの関係性は愛情以前に深い友情に結ばれていたのは間違いない。彼らは共に音楽業界の最前線に立つカリスマ・ロック・スターとして、何らかのシンパシーを感じていたのは想像に難くない。当時、イギー・ポップは『淫力魔人』リリース後、薬物中毒によるパラノイアを抱えていた。バンドは活動中止に追い込まれ、急遽ソロになったイギーに救いの手を差し伸べたのはデヴィッド・ボウイであった。しかしながらボウイが差し伸べた手をイギーは振り払ってしまう。この辺りの愛憎入り乱れた関係性や音楽史にはあまり深く踏み込まず、監督は愛情と挫折だけを強調する。英国人と米国人、その2人の必然的な出会いの場面をとあるフェスに設定したヘインズは、スレイドにとって深い挫折となったステージに、カートの荒々しい演奏を用意する。時にイギー・ポップの代名詞となった過激なパフォーマンス、ステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げ回って救急車で搬送されるといった奇行を繰り返したイギーの、全裸でその場にいるオーディエンス全員にアナルを見せつけるパフォーマンスを、雷に打たれたような強い眼差しでスレイドが見つめる場面が鮮烈な印象を残す。

スレイドはここで自らと同じようにポップ・アイコンとしてのプレッシャーに打ちのめされ、どこまでも正直過ぎる行動の代償として、ドラッグ中毒に陥った痩せこけたアメリカ人の姿を目撃し、一目で恋に落ちる。それをヘインズ作品特有の遠目からの凝視で提示するのである。ヘインズにとってこの「見ること」と「見られること」の連なりは、21世紀のどの作家よりもセクシュアルである。ブライアン・スレイドとカート・ワイルドの蜜月の瞬間は一度も出てこないが、バービー人形でのお飯事の場面は明らかに同性愛者の暗喩として用いられる。ヘインズの映画ではまぐわうことよりも、唇を重ねることよりも、この見ることと見られることが愛することの証明として何度も登場する。それはブライアン・スレイドとカート・ワイルドに関わらず、ヘラルド紙の記者アーサーも、スレイドのアメリカ人の妻マンディ(トニー・コレット)も決定的な別離の瞬間を「見ること」と「見られること」の関係性の中に見つけるのである。特に打ちのめされたマンディがベッドで娼婦を抱くスレイドの顔を嫉妬に溢れた表情で見つめる場面や、自分の元を去っていこうとするカート・ワイルドの姿を豪邸の2階から見つめるブライアン・スレイドの姿がエモーショナルに胸に迫る。ヘインズは開放的だった70年代の反動としての80年代を冷静に見つめている。今作の出来を見たボウイは作品世界を酷評し、自らの数々の代表的な楽曲の使用にNOを突きつけた。それゆえグラム・ロックでもT.REXやブライアン・フェリーしか使用出来ず、『ベルベット・ゴールドマイン』というタイトルだけが残った。しかしながらボウイが亡くなった今、彼の名曲たちが自然とこの映像世界に付随して立ち上がってくるかのようだ。あらためてデヴィッド・ボウイとイギーポップに哀悼の意を表したい。

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