【第615回】『悪の華』(クロード・シャブロル/2003)

 フランスのボルドー、緑豊かで巨大な庭を誇る裕福な家庭、そこに建てられたブルジョワジー一家の堂々たる屋敷。犬を飼っている庭先からカメラはこの家の中へゆっくりと進み、一際印象的な大階段を昇ってゆく。まるで『甘い罠』の大階段のような中央に佇む階段の印象的な間取り。二階へ進み、カメラはゆっくりと廊下を進むと、中部屋で女性がうずくまっているのが微かに見える。やがて一番奥の部屋に辿り着いたカメラは、地面に仰向けに転がる血だらけの死体を目撃する。過去に起きた痛ましい事件の真相を、僅か数分間のアヴァン・タイトルで一気に見せてしまうクロード・シャブロルと撮影監督エドゥアルド・セラの職人的手捌き。場面は変わり、エールフランスの航空機が地上に降り立つ。突然ボルドーからアメリカ・シカゴの街に移住したフランソワ・ヴァスール(ブノワ・マジメル)は生まれ故郷に3年ぶりに戻って来た。空港で待つのはフランソワの父親で、現在のヴァスール家の当主であるジェラール・ヴァスール(ベルナール・ル・コック)の姿。息子に突然の移住の理由など聞くことなく、親子は車中でタバコを燻らせながら、気まずい空白の時間を埋めている。ジェラールの今の妻であるアンヌ・シャルパン=ヴァスール(ナタリー・バイ)の市長選立候補を、苦々しい思いで吐き捨てるように話す父親の横顔を見ながら、左側に見える義母の選挙事務所に視線をやる。かつて過ごした懐かしい屋敷に戻ったフランソワは、叔母のミシュリーヌ・シャルパン(シュザンヌ・フロン)と抱き合いながら、再会の喜びに浸っている。「あなた老けたわね?」「叔母さんはちっとも老けてはいませんよ」。

そう言いながら再会の余韻に浸る家族を尻目に、2階から降りて来る美しい女の姿。フランソワはミシェル・シャルパン=ヴァスール(メラニー・ドゥーテ)の姿を見るなり、目を輝かせながら、互いの3年間の成長を確かめ合う。いかにも幸福そうなブルジョワジー家族の光景。その夜、ミシュリーヌ叔母さんとお手伝いのマルトが作った贅沢なウナギ料理を食べながら、一家は久しぶりに3代揃った食卓の再会の喜びに打ち震える。フランソワの帰国は、アンヌにとってもこれ以上ないほどの嬉しいニュースであり、何より大学生になったミシェルは、フランソワの帰国の日を指折り数えて待っていたはずである。彼女のフランソワへの憧憬はあっという間に恋の炎を燃え上がらせる。だが幸せな時間はそう長くは続かない。アンヌの副参謀で法医学者のマチュー・ラルティグ(トマ・シャブロル...クロード・シャブロルとステファーヌ・オードランの息子!!)はその夜、血相を変えてヴァスール家の屋敷に飛び込んで来る。当選確実だと思われていたアンヌの市長選が終盤になり、突如、謎の怪文書が市中に流れる。そこにはシャルパン家とヴァスール家の50年にも及ぶ呪われた歴史が記されていた。1981年、次男とその兄の妻が自動車事故で死に、次男の妻アンヌは義理の兄と再婚を果たす。ここでは前作『甘い罠』以上の近親相姦な関係が渦巻く。あろうことかジェラールの弟は彼の妻と良からぬ不倫関係に堕ち、駆け落ち的にその生涯を閉じる。ジェラールと元妻の間に生まれた息子がフランソワ(ブノワ・マジメル)であり、逆にアンヌがジェラールの弟との間に身篭った娘がミシェルなのである。フランソワとミシェルは「いとこ同志」の間柄ながら、あろうことか2人は本気で愛し合っている。しかも幼少期に聞いたジェラールとアンヌの喧嘩から、フランソワはミシェルとは腹違いの兄妹である可能性さえも拭い切れていない。

シャブロルは67年の「ヌーヴェルヴァーグ解体」以降もウェルメイドなジャンル映画を量産しながら、折に触れてナチス・ドイツによるフランス占領化の物語を映画化してきた。『境界線』、『他人の血』、『主婦マリーがしたこと』、『ヴィシーの眼』はシャブロルの目から見た20世紀のフランス史最大の分岐点の総括に他ならない。彼は決してナチス・ドイツとの戦争を描くことなく、第二次世界大戦に翻弄されるフランスの市井の人々に訪れた悲劇を通して、戦争そのものを見つめてきた。因果に縛られた一家の運命の流転を執拗に描きながら、フィクショナブルな物語にフランスが抱える病理を忍ばせる。今作でも本来ならば家族に安らぎを与えるはずの叔母が、一家の中で最も深い悲しみと贖罪の念を背負う。彼女はかつて第二次世界大戦中にレジスタンス(Résistance)に加わった愛する兄フランソワ(今作の主人公とは別人)を、対独協力者(Collaboration)だった母方の祖父ピエール・シャルパンに家族と絶縁した罪で撃ち殺される。愛する男を奪われたミシュリーヌ(リーヌ)の復讐の炎が、導入部分のアヴァン・タイトルに呼応する時、情け容赦ないブルジョワジー一家の運命が静かに崩れ去る。シャブロルは生涯で残した全54作の映画の中で、たった一度だけナタリー・バイを市長を目指すヴァスール家の野心的な妻に起用した。トリュフォー作品のミューズとして、『アメリカの夜』や『恋愛日記』、『緑色の部屋』で大女優にまで昇りつめた彼女の70年代の軌跡を、シャブロルが意識していないはずがない。シャルパン家とヴァスール家の因果にまつわる男の名前がフランソワ(François)なのはただの偶然なのだろうか?さながら今作は天国の弟分フランソワ・トリュフォーへのシャブロルなりの鎮魂歌にも見える。

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