【第608回】『肉屋』(クロード・シャブロル/1969)

 鍾乳洞の内部に描かれた原始時代の絵の仰々しいアヴァンタイトルと不協和音、ドルドーニュ川の雄大な流れの川下にそびえる緑豊かな農村地帯、トリュフやフォアグラの産地としても知られるペリゴール地方のトレモラ村では、1組のカップルの結婚式が執り行われようとしている。ケーキ職人は出来た数mの高さのケーキ・タワーに白い布をかけ、3人がかりで会場まで運んでいる。その末尾につけた少年はコンクリートにつまずき、パンを豪快にひっくり返してしまう。会場の料理場では女たちがメインディッシュとなる肉料理の準備をしている。新郎の父親のお馴染みの挨拶。新郎レオン・アメルはこの村にただ一つある小学校で国語の教師をしていた。コの字形に並んだ結婚式の席。中段に座ったレオンの唯一の同僚で小学校の校長先生を務めるエレーヌ(ステファヌ・オードラン)の隣に座ったポポール(ジャン・ピエール・カッセル)の姿(あのヴァンサン・カッセルの父親である)。この式のために特別に持って来た肉を切り分けるポポールの職業は肉屋。15年間の兵役を経て、再びトレモラ村に戻って来た帰還兵である。幸せそうな新郎新婦を見つめるエレーヌの幸せそうねの言葉に対し、結婚はいずれ破綻すると返す現実主義者の冷たい言葉。ワルツは上手く踊れないからとはにかむ男の見送りにエレーヌは久方ぶりのときめきを感じる。

これまでシャブロル映画では、都会vs田舎の図式は度々登場したが、ここまでのど田舎はあまり例がない。現在はドルドーニュ県に統合された映画の舞台になった村には、13世紀から14世紀の間に建てられた歴史的建造物が数多く存在する。豊かな自然に育まれ、子供たちはすくすくと育っている。エレーヌは3年前にこの村に赴任し、以来3年間にも渡り校長先生の職に就き、村の子供たちに勉強を教えている。彼女は小学校の2階を間借りし、昼も夜も校長先生としての務めを果たす。そんな先生のお気に入りの生徒は、わんぱく盛りのプクプクとした男の子シャブロルである。結婚式で出された村の特産品であるペリゴール産のワインを味見する冒険盛りな少年を、エレーヌはメンターとして優しく導く。シャルルという名前は『いとこ同志』から度々使われたシャブロル映画の符牒に他ならない。『いとこ同志』において、主人公のシャルルが売春宿の隣の本屋で、店主に情熱まじりに伝えたバルザックへの思いは、エレーヌによって授業で幼きシャルルに教えられる教材となる。ポポールはあの結婚式以来、肉屋にとびっきりのネタが入った時、エレーヌに届けてくれるようになった。彼は肉屋の長男として生まれながら、父親の全てを憎み、15歳の若さで父親から逃げるように兵役に就いた。それから15年あまり、当然恋など出来るはずもなく、20代の盛りを過ぎた男は父親の死後、この村で唯一の肉屋の仕事を引き継ぐ。ポポールは明らかに現代で云うところのPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を抱えている。

冒頭垣間見えた結婚式の模様は、実に見事に種の継承のイメージを体現する。子供たちが元気にはしゃぐ姿には、都会への憧れなど微塵も感じさせない無邪気な生の営みが宿る。エレーヌはこの村の子供たちのメンターであり、同時に聖なる子供たちを未来に導く伝道師のような神々しさで子供たちを照らす。だからこそ当初ポポールは、ジダンのたばこを歩きながら吸うエレーヌの姿をギョッとするような表情で見つめたのである。子供たちと物々しい警察官、ニワトリと物騒な警察犬、牧歌的で伝統的な村の風景と殺人事件という対照的な構図を配置しながら、殺しは静かにやって来る。子供たちの無邪気な様子(聖のイメージ)を明らかにしながら、シャブロルはその聖の光景に俗悪な赤のインクを一滴垂らす。エレーヌが冒頭の鍾乳洞に遠足で来た時、中にはクロマニヨン人が描いたかつての文明の絵が記されている。その意味もわからないまま洞窟を抜けた未来の子供たち、彼女は休憩よと言ってペリゴール地方を一望出来る高台で食事を取る。シャルルの無邪気なちょっかいの後、静寂に包まれた空間に生徒と先生の問答が続く。「先生、雨だわ」「降ってないわ。青空よ」「赤い色の雨だわ」ギョッとするように振り返ったエレーヌの眼前に、タルティーヌの白いパン生地の上に真っ赤な血が滴るショッキングなショットが一度きり挿入される。シャブロルはこの僅か1ショットにエレーヌの絶望を集約する。クライマックス、シトロエンで街に繰り出した彼ら彼女たちの運命の前にあまりにも残酷な結末が用意される。青白い顔の男への最初で最後の口づけ。導入部分に村の青年が歌ったシャンソン『カプリ小さな島よ』の反復が胸を締め付ける。

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