【第660回】『ブレアウィッチ2』(ジョー・バーリンジャー/2000)
1994年のハロウィンの季節のある日、モンゴメリー大学映画学科に通う三人の学生、女性監督のヘザー、撮影担当のジョシュ、録音担当のマイクは、ブレアの魔女伝説(ブレア・ウィッチ伝説)を題材にしたドキュメンタリー映画の制作のために、ブラックヒルズの曰く付きの森を訪れる。だが、森の中で撮影を続ける三人は、不可解な現象にまきこまれ、想像を絶する恐怖を体験し、そのまま消息を絶った。結局、3人の遺体は発見されず、事件の1年後に森の中で彼らが撮ったと見られるビデオテープだけが発見された。全米を震撼したあの忌まわしい事件から5年、映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒットのおかげで、皮肉にも滅多に人が訪れることの無かったバーキッツヴィルの町は観光客で溢れていた。5年経ち、当時の出来事を振り返る村人たちのTV映像には、前作にも出演していた懐かしい人々の顔が並ぶ。幼い頃からこの街で生まれ育ったジェフ・パターソン(ジェフリー・ドノヴァン)は、都市部から訪れた若者たちをターゲットにビジネスをしようと、「ブレア・ウィッチ・ハント」なるツアーを企画する。彼と失踪した3人との接点はない。それどころか、彼は幼女誘拐事件の前科持ちで、精神病院患者だった。
1999年に大ヒットを記録した『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編。非職業俳優を起用し、全編P.O.V.撮影のモキュメンタリー形式で撮影された前作は、6万ドルという超低予算にも関わらず、全世界興行収入2億4050万ドルという大ヒットを叩き出す。今作はその後日譚として1500万ドルという前作の250倍のバジェットを使い撮影されたが、前作のようなモキュメンタリーの手法は使われず、映画の影響で起こった殺人事件を、証言を元に構築し直したものという設定になっている。確か公開当時の宣伝映像ではブレア・ウィッチ伝説の謎が解き明かされるような口ぶりだったが、逆に混沌とした不可解さが更に極まる不親切極まりない作りになっている。1999年11月15日、「ブレア・ウィッチ・ハント」なるツアーで無作為に集められた4人の男女、ウィッカン(魔女)を名乗るエリカ、ゴスメイクで霊能力を持つキム、大学院生でブレア・ウィッチに関する書物を執筆中のカップル・スティーヴンとトリステンと共に、ブラックヒルズの曰く付きの森を訪れる。冒頭こそ森を俯瞰で撮影した幻想的な緑溢れる森が出て来るが、実際には彼らが森にいたのはラスティン・パーの廃墟を訪ねた後、ライバル会社のツアー客と添乗員との喧嘩し、彼らをコフィン・ロックに追いやり、パーの廃墟の家の前で乱痴気騒ぎを起こす一夜のみであり、森の有する神秘主義的な不可思議さは半減している。
前作の妙味は、もっともらしい嘘を積み重ねたモキュメンタリーの手法にもその動機の一端はあったが、恐怖の一番の要因は、P.O.V.のカメラ・フレームの外側の気配に他ならない。ビスタ・サイズやスコープ・サイズに慣れ親しんだ21世紀の我々観客の目線で前作『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を振り返れば、ヘザー、ジョシュ、マイクそれぞれの姿を切り取ったクローズ・アップに対し、森の中で左右の視界がほとんど確保されていないことに気付く。フレームの外側では確かに人の気配がしたはずだが、3人が森の中を全力疾走したところで見える景色は限られている。映画はこの生きている森の怖さを音と暗闇だけで表現したことと、途中ジョシュを突如、他の2人とは引き離したことに怖さの源泉があった。チャールズ・マンソンやエド・ゲインらのネーム・バリュー、意味ありげな枝で組み合わされた人形、枝に止まったフクロウ、縄で縛られた身体に突き刺さるナイフ、殺される胎児の血など思わせぶりなフラッシュバックは幾つも登場するが、その多くは非合理的でオカルト・チックなハッタリの域を出ない。しかし思わせぶりな映像の陳腐さの割には、脚本があまりにも理路整然としており、クライマックスありきで逆算した見え見えの構成に興醒めする。監督はデヴィッド・フィンチャーのような猟奇殺人モノに無理やり舵を切ったことで、純粋なホラー映画としての怖さがおざなりになったのは否めない。自分たちの意識を失った際の粒子の粗いVHSのモノクロ映像は明らかにJホラー・ブームの金字塔となった『リング』の多大なる影響下にある。かくしてブレアの魔女伝説は真相を明かすどころか、更に混沌とした様相を見せる。
前作を監督したダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスは製作総指揮に名を連ね、当初この続編の映画化に並々ならぬ意欲を見せたが、15年経った現在では彼らの意に反して製作されたまがい物であり、失敗作という認識を示している。
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