【第606回】『ジェイソン・ボーン』(ポール・グリーングラス/2016)
『ボーン・アイデンティティ』から14年、『ボーン・アルティメイタム』から数えても9年、『ジェイソン・ボーン』新シリーズの記念すべき第1章。ユニバーサル側は当初、旧3部作を『ボーン・アルティメイタム』で結び、グリーングラスと新シリーズの交渉を開始するが、交渉は決裂。ドル箱コンテンツを利用しない手はない会社側は、苦肉の策でジェイソン・ボーンとは別の新シリーズとして、トニー・ギルロイ×ジェレミー・レナーによるスピン・オフ作品『ボーン・レガシー』を制作したが、今回、主演マット・デイモン×監督ポール・グリーングラス・コンビでの新シリーズを粘り強い交渉により快諾。9年ぶりに本家ジェイソン・ボーンの復活となった。1作目で29歳だったマット・デイモンは45歳になり、頭にはうっすらと白髪が混じり、心なしか顔の皺も増えた。だが彼の肉体は少しも衰えていない。旧3部作で密だった人物が運んできた因果を巡る物語は、『ボーン・スプレマシー』と同工異曲の様相を呈す。しかし活劇のクオリティは格段に上がっている。これまで物語のボリュームに合わせるように複数登場した刺客だが、今回は最強の殺し屋アセット(ヴァンサン・カッセル)のみに絞り、ジェイソン・ボーンとアセットとの因縁、CIA内部の権力闘争に注力することで、物語に厚みを加えることに成功している。シリーズ中どの作品においても、強い父性=絶対的権力に楯突くジェイソン・ボーンの苦悩が描かれてきたが、今作ではボーンの父親であるリチャード・ウェッブ(グレッグ・ヘンリー)とその同僚だったロバート・デューイが表裏一体の関係を築きながら、彼の前に立ちはだかる。
『ボーン・アルティメイタム』から9年もの不在の間、様々な活劇が作られたがそのどれもが今シリーズを超えた革新性を築けなかったのは偽らざる事実だが、再び今作を観て、改めてオリジナリティを感じずにはいられない。特にポール・グリーングラスがメガホンを取った『ボーン・スプレマシー』以降の主な特徴は3つある。1つは手持ちカメラの躍動感、2つ目は短いマテリアルをパラレル・モンタージュしたショットのテンポ、3つ目は世界各都市をシームレスに繋ぐ活劇の場の妙が競合他社作品の追撃を阻んできた。今作においてはクリストファー・ラウズによる編集の苛烈なスピードはやや減退した印象を受けたが、極端に少なかった主人公ジェイソン・ボーンの台詞は更に簡素に研ぎ澄まされ、顔新式技術の向上や監視カメラの逆ハッキングなどIT環境の日進月歩の進化が物語を加速度的に飛躍させる。それに加えて今作が優れているのは、ヨーロッパの移民問題、ギリシャの緊縮財政、エドワード・スノーデンのPRISM告発(いわゆるスノーデン事件)など実際の事件を物語の背後に巧みに忍ばせている点にある。最近でもyahoo.comの国家単位でのメール閲覧事件が報道されたが、プライバシーvsセキュリティの問題は、個人vs組織の問題とも無関係ではない。個人が感じるボーダレス化の体感速度に対し、国家は常に個人を縛ろうとし、監視下に置こうとする。日本でもマイ・ナンバー制度などはその最たる例だろう。Facebookのマーク・ザッカーバーグとGoogleのラリー・ペイジを足して2で割ったようなディープドリーム社のCEOアーロン・カルーア(リズ・アーメッド)が明らかに中東系なのは何を意味するのか?グリーングラスのアイデアは、アメリカの外からアメリカを見つめる者にしか出来ない冷徹さに溢れている。
トニー・スコット以降の現代映画が直面する問題は、個人vs組織との構図を表現する際に、活劇を繋ぐヴァーチャルvsリアリティが著しく乖離してしまうことに尽きる。衆人環視ステムにおいて、ジェイソン・ボーンを覗き見るCIA職員とボーン自身との間に圧倒的な距離感があるのは否めない。時にアメリカ国内とギリシャでは数万kmもの距離がある。80年代の『ダイ・ハード』シリーズにおけるブルース・ウィリスと犯人、『ターミネイター』シリーズにおけるアーノルド・シュワルツェネッガーと敵役アンドロイド、『沈黙の〜』シリーズにおけるスティーヴン・セガールと犯人との距離感は現代のテクノロジーの統制化において、表現することが極めて難しくなっている。携帯電話やメールの普及が恋愛映画を難しくしたように、活劇もIT化という利を得たことにより、逆に多くの制約に覆われたのは云うまでもない。しかしポール・グリーングラスはこの無理難題に、まるで針の穴を開けるようにシンプルな答えを導き出す。それはD・W・グリフィスが100年前に提唱した「ラスト・ミニッツ・レスキュー」と云う極めて原始的な手法に他ならない。ジェイソン・ボーンが歩く場面1、ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)が歩く場面2、その様子を見つめるヘザー・リーの場面3、実際にボーンを追尾するアボットの場面4をクリストファー・ラウズはテクニカルに繋ぎながら、本来ならば遠隔操作をするだけで良かったヘザー・リーやロバート・デューイと、ジェイソン・ボーンとをゆっくりだが確実に引き合わせてゆく。出会いたくなかった、でも出会ってしまったというのは別のジャンルの常套手段だが、今作の物語は基本的に情報提供側も受領側も思いがけず受け取った情報に翻弄され、敵味方双方ともやがて不本意な出会いを果たす。今シリーズによって、21世紀的な活劇の弊害だったヴァーチャルvsリアリティの問題は一気に氷解したが、そこには情報に翻弄された組織とプライバシーを失う個人という近未来へのリアリティをも含有するのである。
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