【第449回】『追憶の森』(ガス・ヴァン・サント/2016)

 物憂げな表情で運転席に座る男。後ろからブザーを鳴らされ、我に返った男は発券機から切符を取り出す。部屋に整然と置かれた旅行鞄。最後に入れられた睡眠薬のビンだけが彼の精神状態を物語る。こうして男は普段生活するアメリカから一路、日本へと旅立つ。その顔つきはすっかり疲れ切っており、やつれた表情で昨夜切符を取ったんだと答える問答にはほとんど余裕が感じられない。機内で食事も取らず、睡眠もろくに取らないまま左手の薬指にはめられた指輪に何度か触れる男アーサー・ブレナン(マシュー・マコノヒー)。十数時間のフライトの後、アーサーはあてどなく渋谷の街を彷徨い歩く。東海道線に乗った男は、静岡の先にある青木ヶ原樹海のそばの河口湖駅で降りる。まるでドキュメンタリーのようなショット構成と、日本の日常に溶け込んだ大スターであるマシュー・マコノヒーとの対比が朴訥としたある種の優美さを際立たせる。アーサーは何の躊躇いもなく、立ち入り禁止となった青木ヶ原樹海の中に分け入っていく。アメリカ人ならいざ知らずとも、日本人なら青木ヶ原樹海に分け入ることの意味は明らかだろう。人生に疲れ、一度樹海に入れば、生きて戻ることなど出来やしない。スーツ姿にベージュのコート、おしゃれな黒縁メガネをかけた男はその意味が果たしてわかっているのだろうか?いかにも方向感覚を失いそうな、人気のない一面林の中で、男はゆっくりと大きな石の上に腰を落ち着ける。その傍らには500mlのペットボトルの水。くすりをたくさん口に含んだ男は、水を一気に駆け込み、妻からの郵便を横に置いて最後の瞬間を悟る。だがその視線の先を1人の男が横切る。

日本でこの手の物語を映像化する場合、間違ってもマシュー・マコノヒーが主演の槍玉に挙がることはないし、ましてやアート系作品で、一時期カンヌの期待を一身に集めたガス・ヴァン・サントも監督に名乗りをあげることもないだろう。せいぜい『世にも奇妙な物語』の一篇レベルに留まるような脚本を、ガス・ヴァン・サントは曰くありげに実に丁寧に描いてみせる。その丁寧で淀みない洗練された語り口には、わかっていてもついつい魅了されてしまう。冒頭の風に揺蕩う幻想的な森の俯瞰ショットに始まり、靄がかった富士山のシルエットと仄暗い月明かり、明らかに宮川一夫カメラマン、黒澤明監督の『羅生門』を意識しただろう森の中の仰角の禁忌ショットなど古典的ルックもしっかり踏まえながら、監督は森に宿る何らかの精霊の力を画面上に映そうと余念がない。怪しい男は「ナカムラタクミ」だと自らを名乗り、妻キイロと一人娘のフユを養っていかなければならない立場なのだと力説する。ではどうして富士の樹海に分け入ったのか?職場で事実上のリストラに遭い、追い出し部屋に幽閉されたのだとため息まじりに語る彼の言い分を聞き、アーサーは鼻で笑う。そんなことで自殺しに来たのかと。迷路のような空間に幽閉された2人の男が、出口を求めて右往左往する物語といえば、真っ先に同監督の傑作『GERRY ジェリー』を思い出す。ケイシー・アフレックとマット・デイモンの2人がある砂漠に紛れ込み、やがてその迷路を抜け出せなくなる。待っている死の匂い(瞬間)を低予算ながら斬新な発想で紡いだ2000年代の傑作だったが、今作にもガス・ヴァン・サントの映画に漂う死のイメージが全編の緊張感を貫く。

病院内でモニター画面に流れるクイズ番組の凡庸な描写など、明らかに壊れた瞬間は散見されるものの、物語の語り口は真綿のように柔らかい。一晩中彷徨い歩き、少し立ち止まると、アーサーはゆっくりと自分の人生を回想する。美人の妻ジョーン(ナオミ・ワッツ)との幸せな暮らし。数学の方程式に夢を追い、大学の非常勤講師に転職した男の挫折。そこに夫の身勝手過ぎる行動が追い打ちをかけ、夫婦の関係に亀裂を作る。夫婦は何気ない些細な言葉にも苛立ちを隠そうとしない。ジョーンは赤ワインの入ったグラスの縁を触りながら、遠い目をしている。上っ面だけの仕事関係のパーティで、妻は自分に恥をかかせた夫の悪ふざけが我慢ならない。映画が始まった当初は、美人なのに何て気が強い女なのかと思った妻ジョーンへの評価が、アーサーと徐々に逆転していく緻密な回想と、樹海の幻想的な出来事の綴れ織りのような美しい語り口が素晴らしい。中盤にあったマシュー・マコノヒーとナオミ・ワッツの言い合いの描写は、『エレファント』や『パラノイド・パーク』で得た非職業俳優の客観的考察が、百戦錬磨の俳優たちを前にしても効果を上げている。フレーム内の被写体とフレーム外との冷徹な客観性が観る者の心を締め付ける。思えばガス・ヴァン・サントは『エレファント』や『パラノイド・パーク』のヨーロッパでの熱狂の後、いわゆるアート系の最前線への歩みを確約されていたはずだ。にも関わらずその後の彼のフィルモグラフィを眺めれば、他人の書いた脚本で、一見興味のなさそうな題材を普通に撮る作家として、カンヌに背を向け、真逆の道を歩みつつある。一番の驚愕シーンは、直近のデミアン・チャゼルの『セッション』からの影響は否めないものの、明らかに死臭漂う男の生への起死回生の逆転劇が素晴らしい。『ダラス・バイヤーズ・クラブ』で必死に生に執着した男が、ここでは真逆の死を想起させる男として存在感に富む。自然の脅威は時として、人間たちに容赦なく牙をむく。ヤカンをかけてうとうとした妻にコートをかけた主人公が、妻のPCの中にチラ見したヴィンセント・ミネリ監督、ジーン・ケリー主演の『巴里のアメリカ人』が、タクミの歌を媒介とし、「楽園への階段」と結びつく。その静謐で的確な設計には不覚にも涙がこぼれた。

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