【第387回】『ショック集団』(サミュエル・フラー/1963)

 ある男は精神が不均衡になった患者のフリをするが、それを見ていた東洋人が「そんな演技では医者は騙せんぞ」とほくそ笑みながら小声で告げる。新聞記者ジョニー・バレット(ピーター・ブレック)はピューリツァー賞を夢見る新進気鋭の若手記者であり、周りを出し抜くような特ダネ記事を欲していた。それは愛する恋人(コンスタンス・タワーズ)との幸せな未来のためであり、並外れた野心のためだと信じている。バレットは精神病院で起きた殺人事件の犯人を突き止めるために、精神病患者になったフリをして、病院内への潜入を目論む。ストリッパーの恋人はそんな手荒な方法を取るパートナーの算段に当初は反対の意思を表明したものの、2人の明るい未来のために彼の妹になり、兄貴に犯されたシスコンの妹のフリをする。こうして大それた取材は幕を開ける。

映画は事件を目撃したとされる3人の精神病患者への問いかけを行う3幕構成を取る。1人目の自閉症気味な南部の貧しい労働者階級の男スチュアートは、朝鮮戦争の帰還兵であり、共産主義陣営に情報を明かすスパイの任務を負っていた。しかしその危険な任務の代償がアンビバレントな精神を生み、将官になったつもりでいる。2人目の黒人学生トレントは、人種差別が色濃く残る南部の大学で人種差別に遭い、心に深い傷を負っている。彼は狂気じみたイメージの中で自分自身をKKKの一員と同一化し、白人男性の撲殺を夢に見ている。3人目のボーデンという男は天才科学者であり、第二次世界大戦で広島・長崎に投下された原爆開発の責任者だったことが明かされる。彼は焦土と化した広島・長崎の映像を見たショックが原因で、6歳児に精神が退行している。サミュエル・フラーは彼ら3人の病巣を通して、アメリカ合衆国に巣食う闇の部分をジャーナリストならではの手法でえぐり出そうとする。そのブラック・ユーモアに満ちた不条理世界と混沌はフラー映画の中でも異彩を放つ。

彼らと同化を図り懐へと潜り込む作業はとりあえず成功を収めるが、それと同時にバレットが精神の均衡を徐々に失っていく様子は終わりのない悪夢の始まりとなる。精神病院のルックを最も特徴づけている長い廊下と等間隔に備え付けられた電球の明かりが、永遠に終わることのない悪夢の回廊のように見えて仕方ない。バレットは毎晩、ストリッパーの恋人が夢の中で彼を魅了するイメージを見るのだが、その平和なイメージが目の前にいる3人の精神病患者を前にして、徐々に失われていく。スチュアートの悪夢のイメージとして、フラーのかつての傑作ノワール『東京暗黒街 竹の家』の映像マテリアルが新たな編集を施され、歪んだイメージとして突如現れる。真打ちとして3人目に登場するジーン・エヴァンズがバレットと2人でかくれんぼをする場面の、椅子の下でにやける様子には心底肝を冷やした。彼は戦争という避けられない恐怖の中で、まったく変わり果てた姿を見せる。6歳児に退行した男の書いた肖像画に、バレットはまるで鏡に映った正気ではなくなった自分の姿を見つけ、絶望のかな切り声を上げる頃には、もう彼はアメリカの深い闇の中に引きずり込まれているのだった。

バレットと恋人の決定的な亀裂を表現するために、サミュエル・フラーはここでもキスを用いる。彼の言動のおかしさや虚ろな目を見て、恋人がすっかり変わり果てた姿になったことに気付いた恋人は、唇を重ね合わせることで男の理性を取り戻させようとするが、バレットは乱暴に振り払い、唇を拭うことになる。フラー作品では男女の距離が縮まる決定的な瞬間に用いられてきた突然のキスが、今作では2人の不和を決定的なものとするのである。観客はジョン・フォードの『騎兵隊』のヒロインとしても知られたコンスタンス・タワーズのキスさえも拒否したこの男の精神状態が、いよいよ錯乱寸前にあることを目撃してしまうあまりにもショッキングな場面である。こうして恋人の電気ショック容認は起こるべくして起こってしまう。人間が家畜同然の動物のような状態になってしまう電気ショックの恐怖は、今日に至るまで有効だろう。拘束着を着せられたバレットが電気ショックを食らう場面は、戦場で弾を食らうかそれ以上のショックを我々にもたらすことになる。クライマックスの雨降りからの嵐のイメージは、ハリウッド映画において最も過激なイメージとなる。『四十挺の拳銃』の突然の嵐のように、あらゆる天変地異が白昼夢のように、真っ白な長い廊下に座り込んだ彼の元へと降りかかる。その畳み掛けるようなモンタージュの恐怖と衝撃は今作を伝説たらしめている。

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