【第371回】『ディーパンの闘い』(ジャック・オーディアール/2015)

 女(カレアスワリ・スリニバサン)は内戦キャンプのような場所で子供達1人1人に切羽詰まった表情で話しかけている「あなたの親はどこ?」と。この冒頭の描写から女は国連か難民支援団体の職員かと思ったがそうではない。彼女はどうやら孤児を探しているらしいのだ。ようやく両親のいない少女イラヤル(カラウタヤニ・ヴィナシタンビ)を見つけた女は安堵し、やがてテントで難民審査に臨む。今作は内戦下のスリランカで引き裂かれた個人が、あたかも1つの家族を偽装し入国する様子をシリアスなタッチで描いている。フランスへ入国するためには、たった今まで赤の他人だった人と協力し、家族を偽装するしかなくなったディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)一家はこうして国境を跨ぐ。『リード・マイ・リップス』では難聴の女性、『君と歩く世界』では大事故で脚を失った車椅子の女性など、身体的不自由さを持つ主人公を描いていたが、今作ではフランス語もわからなければ、ようやく異国へ入っても右も左もわからない祖国を失った偽装夫婦の精神的不自由の物語である。暗い闇の中でゆっくりとピンク色の鈍い光が点滅する様子は、内戦の地からようやくフランスに入ったにもかかわらず、お先真っ暗な状況を暗示しているかのようだ。3人で生きていくためにはまずお金、次に住居、そして仕事が必要になる。子供は学校に通わせなければならない。最低限のインフラを揃えるためにディーパンは最下層の生活から這い上がることが要求されるが、難民審査の日まではスパンがあり、糊口を凌ぐためには路上で違法の物売りをするより他ないのである。

言うまでもなくEU諸国における「難民」の状況は厳しさを増している。フランスはそもそも古くからアフリカ、中東、アジア、カリブ諸国などから様々な人種を受け入れてきたいわゆる「人種のるつぼ」なのだ。そこに2011年のシリア紛争がきっかけとなり、祖国を捨て難民となる人が後を絶たない。その受け皿となる各国はそれぞれに感情を越えた深刻な問題を抱えている。今作におけるディーパン一家はシリア紛争の難民ではないが彼らに待ち構える運命は難民そのものと言える。斡旋屋を通じて国境を渡った偽装家族は難民審査で嘘をつくことになるが、通訳官は彼らの妄言を何度も聞いてきたベテランであり、そんな嘘に騙されるはずがない。しかしディーパンの顔をよくよく見た通訳官は彼が祖国スリランカで革命兵士として前線で戦った誇り高き男だと気付き、難民申請を受け入れることになる。こうしてイミテーションの家族3人はパリ郊外の集合住宅の一室に居を構えることになる。貧民街の典型的な低所得者アパートは、まるで『リード・マイ・リップス』で売人たちが暮らしたただのボロ屋そのものである。その居住地の暮らしぶりはマチュー・カソヴィッツの『憎しみ』に出てきたゲットー・アパートを思い浮かべるとわかりやすい。屋上では常に数人のギャングが侵入者の監視をしており、管理人もいない団地は荒廃し、エレベーターは動かない。ここには何人もの最下層の人々が押し込まれており、その見た目も話し言葉にもどこにも典型的なパリジャンの姿はない。ユスフという男の仲介で、夫は団地の管理人、妻はハビブという老人の家政婦の仕事につくが、2つの仕事ともそこで暮らすプッシャー(売人)と密接に関わってしまうのである。そしてそのことが後にこの家族に大きな波紋をもたらすことになる。

これまでオーディアール映画では、様々なハンディキャップを抱えながら生きる主人公が、裏社会と密接に関わりながらそれでも生きる希望を捨てなかった。『リード・マイ・リップス』では難聴の主人公と刑務所帰りの前科者が昼間は普通に生活しながら、売人に復讐し一発逆転を試みる。『真夜中のピアニスト』では不動産の裏ブローカーとしてイリーガルな仕事に手を染め疲弊した男が、ピアノを始めようとする。『預言者』では犯罪に手を染めて6年の懲役刑に処されたアラブ系移民が刑務所の中の上下関係を逆手に取りながら、逞しく生きた。『君と歩く世界』では腕っぷしの強さから地下格闘技最強と謳われた男が、両脚を切断し夢も希望も奪われた女と新しい家庭を築こうとする。彼らはみんなイリーガルすれすれの環境にはまり、なかなか健全な状態を取り戻すことが出来ない。今作でもディーパン一家に蓄えや旧知の友人もなく、彼らは生きるために発砲のある危険な低所得者アパートに住むしかない。ここでは毎日一生懸命仕事をし、言葉を覚え、隣人の顔色を伺いながら生きて行くことでしか、家族としての偽りの関係性を保つことが出来ないのだ。大人は仕事を覚え、子供は学校でフランス語を覚える。それしか強制送還を避ける術はないのだとディーパンは自分たちに言い聞かせるのである。それまでスリランカでは当たり前のように手づかみで食べていた食事を、ディーパンがスプーンで食べるように言って聞かせる印象的な場面がある。環境に順応するためには、フランス社会のやり方に合わせていくより他ないのだ。

娘の学校内イジメからの暴力はやや短絡的に見えるが、偽りの母親と娘が心通わせる告白の場面はすこぶる良い。率先して父親になろうとするディーパンにばかり懐き、母役のヤリニと娘役のイラヤルとはその距離感でもがき苦しむことになるが、ヤリニも葛藤しているのだと知ったイラヤルは考えを悔い改める。ディーパンもこの低所得者アパートの住民たちの話が面白いのかどうかヤリニに聞く場面があるが、「あなたはスリランカにいた時から堅物だったから」と絶妙な返事をする。当初は偽りの家族だった3人の関係性は各々が各々で課題をクリアしていく過程で、少しずつ本物の家族に近づいていく。だがその3人の氷解していく関係性をこの地区の売人たちのボス的存在であるブラヒム(ヴァンサン・ロティエ)が阻むことになる。このヴァンサン・ロティエの実に印象的な陰翳を感じさせる演技こそが今作におけるもう一つの核となる。ヤリニを家政婦として雇い入れ、500ユーロもの給料でさせる仕事は父親の介護であり、食事の提供である。売人稼業で様々な人間の恨みを買って来たであろうこの男は、低所得者アパートをアジトにし、たくさんの部下たちを抱えている。その自分の地位から普段は人には言えない悩みが、まったくの赤の他人であるヤリニには打ち明けられるのが面白い。ここで彼の吐き出す一つ一つの言葉が、長年裏稼業に精を出してきた男の言葉としてあまりにも重い。彼の光と影の危ういバランスが、ディーパン一家の身にも暗い影を落とすことになる。

難民問題を扱ったシンプルな家族のドラマながら、この物語を115分のボリュームに収めるためには多くの省略のアイデアが要るのは言うまでもない。父親は管理人として働き、母親はお手伝いさんとして働き、娘が学校に通う以上、その三者三様のバランスを上手く舵取りするのは実に難儀である。それゆえ途中ほとんど娘のイラヤルの挿話が抜け落ち、ディパンとヤリニの描写だけになってしまったのも気になったが、それ以上に気になったのは中盤突如出て来たパリに密かに潜伏するかつての革命軍の上司の挿話だろう。軍隊時代の上下関係の名残りが穏やかに暮らすことを願うディーパンの心に葛藤を及ぼすのかと思いきや、結局回収できない伏線は捨て、売人であるブラヒムとの確執へと戻っていくあたりは、物語の運びがやや強引過ぎる気はした。あとは終盤の白線引きからのディーパンの苛立ちの持って行き方の性急さもあまりにも短絡的に見えた。だがあの革命軍上司との挿話が穏やかな日常を手に入れた夫の狂気の再燃だと思えば、低所得者アパートでの売人たちへの抵抗や2つの象の鼻のエクストリーム・クローズ・アップは概ね納得出来る。クライマックスの苛烈なショットの数々はハリウッドとは一味違う武闘派オーディアールを印象付ける。焼け焦げた車から溢れ出した黒い煙が最上階にまで達するのと時を同じくして、ディーパンは命からがらヤリニを救い出す。パスポートと僅かばかりのお金を用意したクライマックス前の描写と一連の救出の描写とがディーパンの父性回復の契機となったのは言うまでもない。今作をリアリズム溢れる物語だとすればラスト・シーンの美しい描写はやや強引だが、非職業俳優を起用し、EU圏に横たわる最大の問題を描きながら、家族の破壊から新たな誕生を生み出したオーディアールの圧倒的エネルギーが素晴らしい。

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