【第656回】『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』(ピーター・ソレット/2015)

 アメリカ・ニュージャージー州オーシャン郡、暗がりになった海岸沿いのBAR前。一般人になりすましたローレル・へスター(ジュリアン・ムーア)と仲間の2人は、仲の良い友人同士を演じながら、麻薬取引の現場へのガサ入れのタイミングを伺っていた。だがローレルが少し目を離した隙に、PUSHERとして目をつけていた男が彼女の視界から消える。あばら屋に全速力で突入したローレルは犯人の身柄を確保する。彼の隠していた荷物からはコカイン数100グラムが見つかった。BARにはローレルの相棒デーン・ウェルズ(マイケル・シャノン)が待ち構えており、アイコンタクトを取りながらこの数ヶ月の麻薬取り締まりの労をねぎらう。彼女はニュージャージーの街で23年間、犯罪撲滅に努める優秀な警官だった。張り込みは昼夜を問わず行われ、非番の日も相棒からの連絡が絶えない不安定な暮らし。だが彼女には気を許した相棒にも打ち明けていない秘密があった。同性愛者である彼女は、保守的で封建的なニュージャージー警察において、警部補への昇進を目指していた。女性というだけで心象が悪くなる男性的な社会の中で、自らの同性愛をカミング・アウトすれば一生昇進なんて出来ないと告白を躊躇する中、突然、ローレルの前に運命の女が現れる。自宅から1時間以上の距離をやって来た体育館。ママさんバレーのチームに加わったローレルは敵チームの中にステイシー・アンドレ(エレン・ペイジ)を見つける。トッド・ヘインズ『CAROL』のデパートの売り場での出会いのように、ネットを挟んだ2人は互いのことを見つめている。駐車場で待っていたステイシーはローレルに声をかけ、電話番号を交換する。

 偶然にも宮沢りえの『湯を沸かすほどの熱い愛』、トニ・コレットの『マイ・ベスト・フレンド』に続き、同時期に3度目の末期癌の余命宣告にまつわる物語である。『湯を沸かすほどの熱い愛』では、もはや手の施しようのない状態に至った女性が倒れたことで病気が発覚するのだが、その時点でもはや癌はステージ4であり、全身に転移し施しようもない状態である。そこで宮沢りえ扮する母親はバラバラになった家族を必死で再生させようとする。血縁の繋がりよりも絆を大事にする気丈な母親の家の食卓は1人また1人と賑やかになり、理想的な家族像を取り戻す。『マイ・ベスト・フレンド』では乳癌だとわかった女性の生き方を、30年来の親友が自分のことのように支える。その過程で不妊症だった親友にはようやく赤ん坊が出来るが、逆に2人の子供の母親として理想的な家庭を築いていた30代キャリア・ウーマンの女性は皮肉にも病に倒れる。『湯を沸かすほどの熱い愛』では血の繋がらない娘が、『マイ・ベスト・フレンド』では30年来の親友がヒロインの生き方を支えたが、今作では同性のパートナーであるステイシー・アンドレ(エレン・ペイジ)の存在が、癌に冒され、闘病生活を送るヒロインの支えになる。3作とも男性との関係よりも、女性同士の関係性の方が密で深い。『アリスのままで』において若年性アルツハイマー病患者を演じたジュリアン・ムーアが日に日に弱っていく姿は既視感があったが、もはや死語となったかつての昔気質の「タフガイ」ぶりから徐々に弱っていくジュリアン・ムーアの演技にはわかっていても絶句する。ここでも抗がん剤の副作用で抜けた髪の毛が、『マイ・ベスト・フレンド』同様に、女としての尊厳を奪って行く。ローレルはそれでも気丈に何とか生き永らえようとする。

 中盤の末期癌の告知の後、『湯を沸かすほどの熱い愛』や『マイ・ベスト・フレンド』同様に、死に行くヒロインを家族が看取る物語だと思っていたが、物語は1人の死がアメリカ中を巻き込んだ論争へと繋がる。自らがゲイであることをカミング・アウトした脚本家ロン・ナイスワーナーの物語は、彼の代表作である『フィラデルフィア』を想起させるような社会的な問題提起に溢れる。当初は今作のLGBTへの理解の深さとは対照的に、ストレートの男性陣の描写がことごとくステレオタイプであることにやや不満があったのだが、中盤以降、ローレルの相棒デーン・ウェルズ(マイケル・シャノン)の存在感が突如ジワジワと輝きを放つのを忘れてはならない。ローレルに仕事上の相棒以上の感情を持つデーンは当初、サプライズでプレゼントを渡そうと訪れた彼女の新居で同性のパートナーの姿を発見する。長年一緒に捜査に当たって来た美人のローレルがレズビアンであるという事実に、初めデーンは打ち震える。何故彼女はそんなに重大なことを打ち明けてくれなかったのか?最初に浮かんだ感情は失望から来る寂しさだったが、やがてステイシーと共に、彼女の権利のために立ち上がる。中盤までヒロインの愛の形を描いた物語は徐々に脇道へと逸れて行き、突如デーン・ウェルズと後輩の警察官トッド・ベルキン(ルーク・グライムス)が存在感を放つ。各人の利害関係の中で、法の正義の下の平等を求めるヒロインに対し、あくまで同性婚を求めるLGBT問題でも新たなレイヤーを見せもする。単にLGBT問題と言っても、その中には幾つもの主義・主張が隠されている。後半のフリーホルダーと原告団との折り目正しい切り返しは、『ハドソン川の奇跡』のクライマックスを彷彿とさせる。杓子定規な法律に雁字搦めにされそうになった主人公が、尊厳と平等のために戦う姿も直近のイーストウッド作のイデオロギーに限りなく近い。

 実話を基にした奇跡の愛の物語は、信じられないことに2000年代半ばまでLGBTの人たちに認められていなかった自由と平等の権利を奪還する。だがドナルド・トランプが来年1月に大統領に就任する話題で持ち切りの昨今、彼の発言に耳を傾けたい。16年1月の米「Fox News」では、同性婚を禁止する州法を違憲とした判決に対し、非常にがっかりしていると述べた上で、大統領になった場合、この判決を覆すため判事指名を検討すると答えている。トランプ氏は、いわゆるLGBT差別法にも署名することを公約している。当選後の多少のトーン・ダウンもあるものの、共和党がねじれを解消した今、本作でハッピー・エンドとした法律はあっさりと覆されるかもしれない。LGBTの問題へのトランプの良識ある対応が求められると共に、部外者の我々も物事の進行を注意深く見守る必要がある。

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