【第370回】『パンと裏通り』(アッバス・キアロスタミ/1970)

 アッバス・キアロスタミの記念すべき処女作となる11分の短編。小さな男の子が家に帰るまでを描写したシンプルでプリミティブな魅力に溢れた物語ながら、道中に少年が最も恐れる凶暴な犬を配置し、ある種のハプニング(意外性)をフィルムに収めようとしている。今では珍しくない非職業俳優の起用が最初からキアロスタミの専売特許であるだけでなく、観客に目的地までの道程を意識させ、そこに様々な迂回の仕掛けを用意しながら、主人公に克服し達成させる様子を描くことで、観客に子供に感情移入させる。このことも後のキアロスタミのフィルモグラフィを考えると実に感慨深い。

冒頭、サッカーボールを蹴りながら家まで歩いていく少年。今も昔もイランの子供達にとってはサッカーが花形スポーツである。ボールの扱いに長けた少年も、犬の威嚇する吠声を聞いて一瞬で萎縮してしまう。やがてその場にうずくまり、動けなくなった少年だが、そこに1人のおじさんが通りがかり、彼の後をつける形で凶暴な犬をやり過ごそうとするのである。キアロスタミはワンフレームの中に犬と少年を据えることにこだわり、編集でどうにかしようとはしていない。彼は最初から映画のトリックに関して自覚的であり、犬と犬を怖がる少年とがワンカットに収まることにこだわった。またキアロスタミの演技の流儀として、台詞を与えて演技をさせるのではなく、当初から状況を与えて、そこでの自然な反応をカメラに収めようとしている。犬とカメラの後ろ側に新品の自転車を置き、ここまで来れたら君に自転車をあげようと声を掛け、凶暴な犬との緊張感溢れる距離感をフレームの中に作り出すのである。

冒頭の歩行者を追い抜く自転車に始まり、中盤の伏せをする犬の追跡まで、今作は何と見事な言葉のない活劇だろうか?当初フレーム・インしていなかった少年は映画の冒頭、ボールを蹴りながらフレーム・インする。犬のラストのカメラ目線は、映画は初めから虚構であることを我々観客に伝えるのである。現実音以外の音楽を嫌ったキアロスタミだが、当初は音楽の使用にも自覚的であり、『オブラディ・オブラダ』から中盤の意気揚々としたJAZZにはヌーヴェルヴァーグのような瑞々しい初期衝動を感じずにはいられない。たかが少年が犬に怯えるだけの物語を、びっくりするようなセンスでスリリングに見せるだけでも、キアロスタミの底知れぬ才能を感じさせる驚くべき処女短編である。

#アッバスキアロスタミ #パンと裏通り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?