【第596回】『ブロンド少女は過激に美しく』(マノエル・ド・オリヴェイラ/2010)

 リスボンを出発した保養地アルガルヴ行きの長距離列車の中、満員の号車の客席。車掌が1列ずつ左右を見回りながら、客の切符にハサミを入れてゆく。その様子を4分間に渡り長回しした絵画のワンシーンのようなアヴァンタイトル。ちょうど真ん中辺りの左側2列の席の通路側に座ったマカリオ(リカルド・トレパ)は所在なさげな様子で、少し目も泳いでいる。隣に座るご婦人(レオノール・シルヴェイラ)は窓際を見ているが、やがてマカリオの方を向いたところで、彼に声を掛けられる。男は誰かに自分の思いを話したくて仕方ないらしい。マカリオはご婦人に視線を合わせることなく、上の空で自分に起きた身の上話をゆっくりと語り出す。会計士のマカリオは、リスボンで叔父フランシスコ(ディオゴ・ドリア)が経営する高級洋品店「マカリオの店」の2階で仕事を始めた。その部屋のインテリアは殺風景で、ブラウンのテーブルが置かれ、ベランダの窓は開け放たれ、白いレースのカーテンが風に揺れている。マカリオは向かいの家の窓辺に姿を現した美しいブロンドの少女ルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)に心を奪われる。手には大きな中国製の扇子を持ち、ゆったりと振る優雅で気品ある手付き、いかにもお嬢様的な麗しい憂いを帯びた退廃的な表情。2週間後、その少女と母親(ジュリア・ブイセル)が店を訪れる。マカリオはそっと2階から降りて彼女と母親の様子を伺うが、叔父に窘められる。夕飯時、いつもと同じように並んで座り飯を食べる叔父は、高級ハンカチーフがなくなったとマカリオに語りかける。

覗き見るマカリオと覗かれるルイザが折り目正しいリバース・ショットで、何度も繰り返される視線の交差が甘美で胸を打つ。まるでポルトガルのワインのような芳醇な香りに包まれる美しさは、ジョルジュ・メリエスの時代のプリミティブな眼差しの官能性が息づく。フレームの中に配された大きな窓は世界の「あちら側」と「こちら側」を隔てる突破不可能な壁となり、僅か数mの石畳の距離に置かれたマカリオとルイザは互いに住居の2階に幽閉され、容易く動くこともままならない。一見近いようでいて、絶望的に遠い男と女の距離は次作『アンジェリカの微笑み』でも踏襲される。見るものの方向感覚を一瞬で失わせる倒錯性こそが、オリヴェイラの仕掛ける美しさの本質に他ならない。数日後、マカリオは文学好きの友人が向かいの家の母親に挨拶している姿を目撃する。少女の母親はヴィラサ夫人という名前の女性で、良家の母娘だと聞いて安心したマカリオは、友人に紹介を頼みこむ。土曜の晩、公証人の家で開かれた上流階級の集い、エッサ・デ・ケイロスのスケッチ、アルベルト・カイエロの詩、そしてルイス・ミゲル・シントラの不思議な朗読、ソファーの右端に佇む少女ルイザの微笑み。2人は別室に誘われ、上流階級だけのカードゲームに加わるが、ルイザに配られたチップが忽然と消える。

ヴィラサ夫人宅の友人の集いに招かれたマカリオはいても立ってもいられず、遂に夫人にルイザへの想いを打ち明ける。『アンジェリカの微笑み』同様に、リカルド・トレパの果てなき恋の情熱が素晴らしい。翌朝、叔父に結婚の許しを乞うマカリオだったが、何故か叔父は強硬に反対し、彼をクビにしてしまう。有り得ないところまで落ちぶれた男は、カンカン帽の友人から、貿易商がカーボヴェルデで働く男を探していると聞き、即座に引き受ける。こうして15世紀から1975年までポルトガル領であったアフリカの島にリスボンから単身渡った男は、一財産を築いてリスボンに戻る。彼はヴィラサ夫人を訪ね、ようやく結婚の許しを得る。ここに見えるのはルイザと一緒になりたいというマカリオのひたむきな思いに他ならない。全てのいきさつを知る叔父もとうとう折れ、マカリオに2階で仕事をするように告げ、遂にルイザとの結婚を許すのである。だがファム・ファタールに翻弄された男の最期は随分残酷で呆気ない。オリヴェイラ独特の唐突な転調が観るものを捕らえて離さない。天にも昇るような喜びから、一瞬で奈落の底に主人公を突き落とす描写は、エッサ・デ・ケイロスらしい寓話性に満ちている。そんな地上界で起こる恋の顛末など知らないと言わんばかりに、リスボンの美しい風景は昼から夜に変わり、夜から朝へと変わる。男の馬鹿さと女のしたたかさを対照的に描きながら、たった一度のキス・シーンを、互いの口と口が触れるところを映さず、ルイザの右足が「く」の字に折れ曲がる様子と重なり合う2人の影で描写する鮮烈なショット。100歳を超えたオリヴェイラの瑞々しいアイデアが息を呑む。

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