【第303回】『ザ・ミッション 非情の掟』(ジョニー・トー/1999)

 ジョニー・トーの映画では個人に対する組織というものが何度もクローズ・アップされる。『ヒーロー・ネバー・ダイ 』では組織を命を賭けて守った男たちが、最終的に裏切られた組織へ復讐を企てる。今作は彼らのように組織の用心棒のNo.1ではなく、用心棒チームの全員が主役であるかのように描いている。

何者かに命を狙われた黒社会のボス、ブン(コウ・ホン)を守るために雇われた元殺し屋グァイ(アンソニー・ウォン)、銃のエキスパート、フェイ(ラム・シュー)、以前はスゴ腕狙撃手だったマイク(ロイ・チョン)、そして現役の殺し屋ロイ(フランシス・ン)と彼の弟分、シン(ジャッキー・ロイ)の5人。そんな彼等が与えられたミッションは、ブンを命の限り守り、真犯人を割り出すこと。最初はお互い干渉しないようにしていた5人だったが、やがて、固い絆で結ばれていく。

ジョニー・トーの男の美学は今作では最初から全開である。白髪交じりの角刈りを披露する裏社会のボスであるブンは何者かに命を狙われている。最初は反目し合う5人だったが、徐々にチームとして何かが芽生えていく様子が素晴らしい。最初はビルの屋上からブンをライフル銃が掠め、5人は動揺しながらも暗闇の中で高所に潜む狙撃手を必死に探す。この場面では地上で命を狙われる側とビルの屋上から狙撃する側の2つのショットの切り返しが活劇の重要な核になるが、残念ながら屋上で狙う側の描写はほとんど出て来ない。しかしそれがかえって暗闇の中でどこから弾が飛んでくるかわからない恐怖を演出している。

またこの白髪交じりの角刈りの親分であるブン(コウ・ホン)が、親分とは思えない人の良さを見せるのだ。自分は前日に撃たれたにも関わらず、彼ら5人に飲み物を振舞おうとする。コーヒーかお茶か紅茶か聞く親分に対し、5人は申し訳なさそうな表情で見つめている。ジョニー・トーはそういう男たちの哀愁溢れる描写がすこぶる巧い。親分にここまでされたら、気持ちで返さない子分たちではない。

中盤のショッピング・モールである「ジャスコ」の閉店後の撃ち合いの場面は、アジアン・ノワール屈指の名場面となる。人のいないショッピング・モールのエレベーターをブンを囲むように5人は陣取り降りていくのだが、反対側の昇りのエスカレーターを上がっていく警備員が実は殺し屋であり、いきなり振り向きざまに撃ち込んでくるが、彼ら用心棒たちはすぐに引き金を引き、事なきを得るのだ。その後の5人それぞれが別角度から銃を構えたままじっと待つ様子はあまりにも図式的な構図が美しい。静けさの中にジリジリと迫り来る銃撃の恐怖があり、警備員さえも敵だったとすれば、ジャスコの従業員や清掃作業員さえもまったく信用出来ない。彼らの研ぎ澄まされた五感だけが、ブン組長を助けることになるのだが、誰かが引き金を引いた途端、5人が一斉に色めき立つのである。

その後の紙屑サッカーとタバコの煙の鎮火の場面は、緊張と緩和におけるジョニー・トー流の緩和の場面となる。彼らはビルの屋上からの銃撃の場面では、組長をケガさせてしまい少し気を落とすが、ショッピング・モールでの銃撃戦では、自分たちが力づくで組長を守ったという自負がある。そのことが彼らの緊張感ある雰囲気に余裕(緩和)を誘い込むのである。

クライマックスの銃撃戦は、ライフルに対して拳銃が勝つというジョニー・トーらしい有り得なさだが 笑、そこで挙がってきた黒幕の驚くべき正体にも唖然とさせられる。しかも彼は撃たれても食べ物を口に運び、咀嚼する手を止めないのである。何という化け物なのだろうか 笑。中盤にはあれだけ穏やかな表情を見せた親分でさえ、組織の掟は絶対であり、最後には悲しみの離別となるが、今作は親分の側には肩入れせず、あくまで組織の末端に生きる人間たちの友情にスポットを当てている。オープニングが我らが黒澤明なら、ラスト・シーンは明らかにタランティーノの『レザボア・ドッグス』へのオマージュだろう。

細部の書き込みの雑さは相変わらずだし、毎回毎回引用元がすぐにわかってしまうところがジョニー・トーのあざとさだが、B級プログラム・ピクチュアとして観ればそこまで悪くない。色々突っ込みながら見ていればそれなりに楽しめるものの、日本のヤクザ映画を散々観て来たものからすれば、このカッチリ決まった様式美や男の美学は21世紀を迎えようとする時代にはあまりにも古びていた。けれどそこがジョニー・トーの魅力であろう。彼のフィルモグラフィの中で、90年代の作品で一番人気があるのはおそらく今作である。

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