【第302回】『過ぎゆく時の中で』(ジョニー・トー/1989)

 オートバイ・レーサーだった10年前に事故を起こし、今はトラックの運転手として一人息子のポーキー(ウォン・コンコン)と一緒に暮らすアロン(チョウ・ユンファ)は、自転車のうまい男の子を捜すテレビCMのオーディションにポーキーを連れていく。審査の結果、ポーキーは合格するが、そのCMのディレクターであるシルヴィア(シルヴィア・チャン)は10年前にはアロンと同棲し、子供を身籠ったが、派手好きで浮気を繰り返すアロンに三行半を突きつけ、渡米した元恋人だった。

まだハリウッド・デビュー前、駆け出しだった頃のチョウ・ユンファとシルヴィア・チャンの初共演作。チョウ・ユンファは初期には『風の輝く朝に』や『傾城之恋』などのメロドラマ然とした作品があったが、この後に主演した『男たちの挽歌』の大ヒットがきっかけとなり、チョウ・ユンファ=マークのイメージが大陸中国及び世界に急速に広まっていく。タランティーノがオマージュを捧げた『友は風の彼方に』や『愛と復讐の挽歌』シリーズでも漢チョウ・ユンファが大活躍だった。そのアクション・スターとしてのチョウ・ユンファだったイメージを180℃変え、演技派に成長させたのだが今作である。

今や『イップマン』のプロデューサーとして知られるレイモンド・ウォン(当時は香港を代表する喜劇役者だった)は、今作を最初から悲劇として考えていたという。『僕たちは天使じゃない』と『ゴールデン・ガイ』という2つの喜劇に挟まれた今作は、当初別の監督が起用されるはずだったがスケジュールが合わず、コメディを十八番としていた新人ジョニー・トーに白羽の矢が立った。ジョニー・トーにとって初のファミリー映画であり、バッド・エンディングものだったが、B級プログラム・ピクチュアに長けた職人監督であるジョニー・トーにとっては悲劇も喜劇も関係なかったようである。

冒頭、アロン(チョウ・ユンファ)と一人息子のポーキー(ウォン・コンコン)の朝のドタバタぶりを告げる導入シーンが素晴らしい。この場面だけで、2人の関係性や仲の良さがわかる。アロンにとってポーキーは自慢の息子であり、幼い頃の自分の面影を持った大切な一人息子である。ヤンチャなポーキーを演じるのは、『僕たちは天使じゃない』と『ゴールデン・ガイ』と併せて、チョウ・ユンファと3度目の共演となるウォン・コンコンであり、今作では実の父子という間柄で息の合った演技を見せる。アロンは大事故のトラウマなのか、それとも大恋愛のトラウマなのか、息子を育てる責任感からなのか、10年間一度もレースを走っていない。

そんな父と息子の生活が一変するのが、チョウ・ユンファとシルヴィア・チャンの再会からである。片親のトラック運転手として、生活を一手に引き受けるチョウ・ユンファの生活は困窮しており、息子をCMタレントにして一攫千金を夢見るのだが、そこで出会ったシルヴィアは、かつてポーポーと呼んでいた昔の恋人であり、ポーキーの母親なのである。シルヴィアはその後渡米し、母親に引き取られ、死んだと言われていたわが子が生きていて、今のポーキーであると知って驚きの表情を見せる。

この母親と息子との再会の場面は、もう少しドラマチックに盛り上げても良かったと思うのだが、久しぶりの親子水入らずの状況に持っていくが、ジョニー・トーの映画ではいつも恋敵が現れる。アロンは今だにシルヴィアのことが忘れられなかったが、彼女は10年前の地獄のような日々を思えば、もはやアロンのもとへ戻る気はなかった。『華麗上班族』ではシルヴィアの浮気に対し、チョウ・ユンファの静かな葛藤が物語を盛り上げたが、今作における2人の関係は真逆の様相を呈している。

そこから先は我々が思い描いていたような展開へと静かに進んで行く。あくまで親子3人の幸せな生活を夢見る息子ポーキーとアロンとは対照的に、シルヴィアは今の大企業の重役としての生活や、パートナーであるパトリックと別れる気はない。別れた恋人から花をプレゼントされ、無理やりキスをされ、アロンにとっては息子のことを思えばこその説得なのだが、シルヴィアにとっては母親としての幸せと同時に、女としての幸せも望んでいる。今のアロンの生活では残念ながらその夢が叶えられそうもない。この父親と母親の絶望的な距離の狭間で揺れる一人息子のポーキーが何とも泣かせるのである。シルヴィアにもらったプレゼントを、ぼろアパートの窓から投げる場面は涙なしには見られない父と息子の名場面である。考えてみればまだ幼い子供であるポーキーに、父を取るか母を取るか選択させるのは、何とも酷な判断だと言えるだろう。

クライマックスではアロンが遂に10年ぶりにレースに復帰する。それまでジャッキー・チェンのようなおかしなカツラを被せられていたチョウ・ユンファが髪を切り落とし(たフリをし)、短髪になって登場する。その後ろ姿に滲むのは、ポーキーとポーポーへの熱い想いであり、10年前に幸せに出来なかった家族への懺悔の気持ちにも見える。10年走れなかった男が、どうしてライセンスも失効されているはずなのに、レースに出られるのかはこの際問わない。ジョニー・トーの映画とはそういうものである。ラストの瞬間には、その後全開になったジョニー・トーのアクション・シーンへの非凡な才能の片鱗がしっかりと見える。今作はチョウ・ユンファの演技派としての名声を高めただけではなく、まだ駆け出しの新人監督だったジョニー・トーにとって、キャリアを代表する作品となった。『Needing You』が登場するまでは、今作がジョニー・トーのキャリア最大のヒット作なのである。

#ジョニートー #チョウユンファ #シルヴィアチャン #ウォンコンユン #過ぎゆく時の中で #華麗上班族

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?