【第275回】『カポーティ』(ベネット・ミラー/2005)

 トルーマン・カポーティという男は、アメリカでは知らぬものがいないほど有名な小説家でありながら、数々のゴシップで紙面を賑わせてきた人でもある。幼少時代、彼の両親は早くに離婚し、その後は母親の世話になり、アメリカ中を転々とした。彼の母親は晩年、新しい夫と一緒になるが後に自殺している。17歳で新聞記者になってから、僅か6年後の23歳で処女小説『遠い声 遠い部屋』を発表。若き天才作家として注目を浴びた。その後は中編『ティファニーで朝食を』が映画化されヒットするなど脚光を浴びたが、そんな彼の最後の長編作品となったのが『冷血』である。

1959年に実際に発生した農場主の一家4人惨殺事件をカポーティ自身が徹底的に取材し、加害者を含む事件の関係者にインタビューすることで、事件の発生から逮捕、死刑執行に至るまでを正確に描写した。これは今ではノンフィクション・ノベルと定義づけられ、同じ手法を用いた作品が次々と他の作家によって発表されている。ジャーナリズムの世界でも取り入れられたこの手法はニュー・ジャーナリズムと呼ばれた。

1959年、小説「ティファニーで朝食を」で名声を高めた作家のトルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、ある小さな新聞記事に目を留める。カンザス州の田舎町で、農家の一家四人が惨殺された事件だった。カポーティはノンフィクションの新たな地平を切り開くという野望を胸に、ザ・ニューヨーカー誌の編集者、ウィリアム・ショーン(ボブ・バラバン)に執筆の許可を取りつける。そして良き理解者である幼なじみのネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)を伴い、事件の取材に着手する。

冒頭、ある少女がこの惨殺事件の第一発見者になるところから場所が転じ、華やかな社交界が映し出される。トルーマン・カポーティは陽気で話好きな人間であることが一目瞭然である。時にジョークを交えながら、ユーモア交じりに話す言葉に聴衆は魅了されたのか、それともただの愛想笑いなのか、高らかな笑い声が響く。次のカットではある新聞の記事に見入っているカポーティの姿が映し出され、その日のうちに取材に行くことを決断する。フィリップ・シーモア・ホフマンの声色は明らかに上ずっている。この人は低い声も出せる性格俳優だが、明らかに低音を抑え、高音による早口に徹している。それは一昨日のエントリで述べたPTAの『ザ・マスター』の教祖と比べると一目瞭然である。

田舎町では彼の名声も役に立たず、最初は取材が難航したが、やがて地元の警察の捜査部長であるアルヴィン・デューイ(クリス・クーパー)の妻がカポーティのファンであったことから事態が好転。ついには逮捕された犯人二人組に接触する。その内の一人、ペリー・スミス(クリフトン・コリンズJr.)との出会いはカポーティの創作意欲を強く刺激した。事件は迷宮入りも噂されたが、ある日突然あっけなく解決する。田舎の警察の階段にしては少々オーバーな門構えが気になるが、カポーティとベリーの視線による挨拶が、やや大袈裟なスロモーションを通して繰り広げられる。その割には最初の唐突な出会いにはやや拍子抜けしたが、彼を見た途端、明らかに作家としての創作意欲が掻き立てられる。

その後、ベリーとの親交を深める中でカポーティはベリーとの共通点を見つけ、いつの間にか他者に自分を重ね合わせていく。リアリティを求めて取材のためにあらゆる人間の証言を聞き、遂には加害者の殺人犯とも接点を持ったカポーティだったが、そこで生まれた友情と、自分と同じような人間があっさりと殺しを犯したことに悶え苦しむ。ベリーが死刑にならなければ、いつまでも小説は発表出来ないことになるが、それと同時に親愛なる友と互いを呼び合うことになるベリーの死を受け入れられるのか?カポーティはプロの小説家としての倫理にもがき苦しみ、ごく当たり前の人間としての本能で悶える。その光と影を劇中で表した言葉が「表口から出たのが自分で、裏口から出たのがペリーだった」である。

この心理的葛藤が、カポーティとベリー2人の苦しみを幾重にも倍加させていく下地がここまで出来つつある。問題はベリーが死刑になる日まで、刑務所から一歩も出ることが出来ないことから来る片側の表現の制約ではないか?アメリカ映画としては、このカポーティの引きこもりの描写自体が、映画としてまったく絵にならないばかりか、アクションの起爆装置にもならないことが最も問題なのである。普通の映画であれば、主人公と敵の距離を正確に描写すればアクションは生まれるが、今作においてはベリーはカポーティにどうやっても近づくことが出来ない。この課題に対して、ベネット・ミラーは何とか及第点を出している。ベリーは電話や手紙などの通信手段により、何とかカポーティと連絡を取ろうと試みるも、カポーティは伏せて寝ており、ネルの連絡すら取り次がないのである。これに付随して冒頭と同じような社交界の場面で『アラバマ物語』への感想を聞かれるが、言葉が前に出て来ない。

中盤以降はやや緊張感を欠いた描写が続くものの、やがて死刑執行の日は残酷にも訪れてしまう。カポーティはその瞬間を一番前で見ることが出来ず、一番後ろから見守ることになるが、黒い布を被せられたベリーの嗚咽や小刻みに震える肩はそこからでも明らかである。中盤以降、別人のように憔悴していくトルーマン・カポーティはこの『冷血』以降、長編小説を一つも書かなかった。晩年はアルコールとドラッグ中毒に苦しみ、59年の短い生涯を終えた。監督であるベネット・ミラーはこの男の救いようもない暗さに惹かれたのではないか?と思うほどの後味の悪さとフィリップ・シーモア・ホフマンの抑えた演技が頭を離れない。

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