【第609回】『主婦マリーがしたこと』(クロード・シャブロル/1988)

 イギリス海峡を臨む北フランスの街ノルマンディ、湾曲した海岸線からは強い海風が吹き、野草摘みをする家族に寒風が吹きすさぶ。息子ピエロはもう嫌だと愚図り帰ろうとするが、母親はそんな息子の頰を叩き、もう少し摘まなければ帰れないと諭す。帰り着いた家の前の通り、石畳に彩られた路地裏の一本道、典型的な貧しい庶民のアパルトマンの3階に住居はある。2階の踊り場で愛を囁き合うジネット(マリー・ブネル)と水兵の姿。部屋に戻ると息子のピエロは厚着をしたお腹に、防寒のために入れていた新聞紙を取り出す。いかにも貧しい親子3人の暮らし。夫で父親のポール(フランンワ・クリュゼ)はドイツ占領時代、ドイツ軍の指令を受け、出兵しこの家にはいない。主婦のマリー(イザベル・ユペール)はそんな貧しかった時代にも、2人の子供を育てながら懸命に生きていた。息子ピエロの「僕が生まれた時は嬉しかった?」の言葉に、「男の子を授かって誇らしかったわ」と答える母親の姿。日頃のストレスを発散するため、子供に言伝を残し、酒場に消える女たち。ドイツ統治下の抑圧された社交場、シャンソンを聴きながらダンスをするマリーとジネット。マリーはこの酒場のユダヤ人常連客ラシェルに惚れていて、事あるごとに誘惑する様な素ぶりを見せる。元気な女たちの姿に男たちはしばし呆気にとられるが、店主はドイツ軍の監視を恐れ、そそくさと店を閉める。街灯もない真っ暗な裏路地、赤ワインで心が弾んだマリーはエコーが生じる石畳の上で、心地良くシャンソンを大声で歌う。翌朝、コーヒーミルを返してもらうため、階下のジネットの部屋を訪れたマリーは、子供が出来、すっかり憔悴しきったジネットの姿を発見する。マスタードで黄色くなった風呂に入る彼女を見たマリーは、「マスタードで子供は堕ろせないわ」と呟く。それが全ての始まりだった。

主婦マリーはいたって普通の主婦である。上の子ピエロは7歳、下の子ムーシュは4歳、子供たちの面倒を見なければならないマリーは、どこかに働きに出るわけにも行かず、そうでなくても検閲に遭う貧しい占領下で、編み物をして何とか日々の足しにしていた。彼女の日々の贅沢は、たまに飲む数杯の赤ワインだけで、ラシェルを誘惑しても決して本気にはならない。彼女は25歳の女盛りの身体を持て余している。そんな折、夫のポール(フランンワ・クリュゼ)が、傷痍軍人として復員してくる。一切の手紙も電報も電話もなく、夫は突然自宅に帰宅し、テーブルに戦争の土産を無造作に置いたまま、ベッドに横たわり、天井のシミを見つめている。一日中、大砲の音に怯えるポールの症状は明らかにPTSDを患っている。妻として、女としてのアンビバレントな感情に縛られるマリーの思いは、日々の生活を立て直す父性を欲しているが、PTSD(勃起不全)を患ったポールはマリーを満たすことが出来ない。夫への愛情は、すっかり冷えきったものになっていた。勃起不全の夫と女盛りの妻のイメージは『不貞の女』を彷彿とさせる。身体の関係のなくなった夫婦関係はもはや修復不能に破綻し、一見健全に見える家庭は既に崩壊の危機にある。今作はシャブロルにとって、『境界線』、『他人の血』に続いて、92年に製作した『ヴィシーの眼』の手前に位置するナチス・ドイツによるフランス占領化の3度目の映画化である。ブルジョワジーの破滅を好んで描いてきたシャブロルが、フランス占領時代の題材を4度映画化したのは、フランス国民が最も運命に翻弄された分岐点を克明に紡ぐ。国を二分したレジスタンス(Résistance)とコラボラシオン(Collaboration)の二項対立は、その後の彼らの運命だけではなく、子孫たちに至るまで深い傷跡を残した。この禍々しき戦禍の女性たちの姿を通し、シャブロルは悲惨な時代の総括を試みる。

シャブロルの映画では往々にして、シャルルとポールという2人の男性が登場し、1人の女性を巡る三角関係に至る。女の名前は便宜上でフローランスやエレーヌ、フレデリークなど常に変化するが、主婦マリーのマリーが聖母マリアを暗喩するのは云うまでもない。シャンソンと赤ワインをこよなく愛し、母親としての務めを健気に果たしながら、彼女はいつかシャンソンの歌い手になる夢を忘れていない。ジネットが奪胎費用の代わりにくれた年代物の蓄音機。シャブロルの映画には何度もレコードに針を置く瞬間がフレームに記録されるが、今作でもSP盤に針を置いた途端、彼女の心は少女のように美しくざわめく。ステファーヌ・オードランに続き、シャブロル映画のミューズとなったイザベル・ユペールの演技は、少女と大人、天使と悪魔の間で往来する平凡な主婦マリーの姿を的確に演じている。何でもない普通の主婦が、些細なきっかけで徐々に転落していく。シャブロルは一貫して一般人の衝動的な殺人に至る過程を冷徹に見つめ、家族という共同体がバラバラになる陰惨な過程をつまびらかにする。息子のピエロ(ギヨーム・フートリエ)が奪胎部屋の鍵穴から子殺しの一部始終を覗き見る様は、『二重の鍵』において兄リシャールが妹の痴態を覗き見る様子に呼応する。新築の部屋に引っ越し、お祝いの席で家族1人ずつが願いを込めた席での息子の言葉は、7歳にして後の陰惨なクライマックスを想起させる。シャブロルは一貫して時代や運命に翻弄された普通の女の姿を映し出す。『境界線』のジーン・セバーグ、『他人の血』のジョディ・フォスターに続き、悲劇の女を演じたイザベル・ユペールは、ソバカスだらけで蒼白な顔をフレームに晒しながら、生と死の間を彷徨い歩く。まるでジャンヌ・ダークの最期のような絶望を身に纏った甘美な表情、歓喜のようなシャンソンと頬を伝う涙のコントラスト。今作で実在した主婦を演じたユペールは見事、ヴェネツィア国際映画祭女優賞に輝いた。

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