【第645回】『メーヌ・オセアン』(ジャック・ロジエ/1986)

 パリのモンパルナス駅、ブラジル人ダンサーのデジャニラ(ロザ=マリア・ゴメス)は改札口を駆け抜けると、フランス西部の街ナント行きの列車である「メーヌ・オセアン号」に乗り込む。食堂車でコーラを呑み、一息ついた女は指定席のある2号車へ向かう。疲れて眠りについた数分後、検察係のリュシアン・ポントワゾ(ルイス・レゴ)に突然起こされる。「切符を拝見します」デジャニラは切符を見せるが、リュシアンはパンチがないことを彼女に詰め寄る。上司のル・ガレック(ベルナール・メネズ)に指示を仰ぎ、国鉄の検札長である彼は威厳を持ってデジャニラに注意するが、フランス語がわからない彼女には何が何やらさっぱりわからない。彼女はブラジルからこの地に来たダンサーであり、美しい流れ者である。ブルターニュ出身で厳格なルールにうるさいル・ガレックはまるで彼女を犯罪者のように扱うが、その姿を見た1号車の客ミミ(リディア・フェルド)が止めに入る。彼女はフランス人ながら、ポルトガル語も話すバイリンガルであり、立場の弱いデジャニラの通訳として、頭の固い検札長であるル・ガレックと向き合う。法曹服を着て威圧するミミに根を上げたのか、ル・ガレックとリュリュは罰金の支払いだけを命じ、それ以上の追求を折れる。ナントよりも遥かに手前であるアンジェで降りたデジャニラとミミは、迎えに来ていた漁師プチガの弁護に訪れる。

 パリ・モンパルナスからアンジェへ。血の気の多い漁師であるプチガ・マルセル(イヴ・アフォンソ)のシトロエンに乗り込んだ2人は「ランデヴーへ行こう」というミミの言葉を頼りに、まずはプチガの裁判に挑む。敵側が圧倒的に有利な状況の中で、ミミは突然裁判長に言葉の大切さを説くが、彼女の長話に呆気に取られた裁判長は執行猶予付きの禁錮18日という非情な裁定を下す。この場面がコミュニケーションの不可能性を暗喩しているのは云うまでもない。導入部分でまったく噛み合わなかったデジャニラやミミのポルトガル語と、ル・ガレックとリュリュのフランス語、ありのままの真実を伝えようとするが、早口な西訛りの言葉が裁判長の心象を悪くしてしまうプチガの漁師言葉。それらコミュニケーション手段の根本的な断絶は、極めて現代的な問題を呼び起こす。あっさりと敗訴し、怒り心頭のプチガはデジャニラとミミを自らの故郷であるユー島へ案内すると誘う。フランス西部ヴァンデ県沖の大西洋上にある島で、ポール・ジョワンヴィルとポール・ド・ラ・ムールに挟まれた港町は2人のランデヴーにとって格好の土地になるが、2人はレ・サーブル=ドロンヌへ向かうと言い残し、もう一度列車に乗る。そこで2人はリュシアン・ポントワゾ通称リュリュと奇跡のような再会を果たす。

 今作を最も特徴付けているのは、一体誰が主人公なのかまったくわからない物語展開に他ならない。当初はデジャニラとミミのどちらかが主人公に違いないと予想した我々観客の期待はあっさりと裏切られる。『アデュー・フィリピーヌ』や『オルエットの方へ』と同様に、4人の主役なのか脇役なのかはっきりしない人物たちは、それぞれが意図せぬ理由でユー島へ向かう。彼らをその島へ導くのはデジャニラの美貌の魅力に他ならない。半ばリュリュの口車に乗せられたル・ガレックは別として、ポルトガル語を操ること以外、一切の詳細が不明のデジャニラの不思議な魅力に絆され、一行は風光明媚なユー島を訪ねる。デジャニラの虜になったこの島に住むプチガは、言葉の通じない彼女に屈辱を負わせた国鉄の検札係をボコボコにしようと息巻いている。次の瞬間、プチガのBARに彼が半殺しにしようとしているリュリュとル・ガレックが姿を現す。島の仲間たちが見ている手前、引くに引けなくなった男の激情は、リュリュに怪我を負わせる事態になるが、殴り合いの果てに3人の男には友情が芽生える。メキシコ系の詐欺師のようなインチキ興行主であるペドロ・マコーラ(ペドロ・アルメンダリス・Jr)を加え、デジャニラを中心としたピープル・ツリーが市民会館で奏でるセッションの有無を言わせぬ素晴らしさ。ここではコミュニケーションの不可能性は音楽を媒介とし崩壊し、赤ワインに呑まれた憎まれる側と憎む側はセッションを通じて一つになる。

 美しきランデヴー(ヴァカンス)のその後を描いたクライマックスまで辿り着く過程で、我々観客はようやく今作の主人公をスクリーンの中に見つける。列車から飛行機へ、飛行機から船へ。船を乗り継いだ先に待つ主人公のロング・ショットの途方もない素晴らしさはまさに奇跡のような魅力を誇る。「現代のモーリス・シュヴァリエ」と煽てられ、随分あっさりと現実に引き戻される主人公の描写と対比的に描かれた遥か彼方へ消えゆくジェット機の未来。1年365日夢の中のようなデジャニラの日常に対し、一度そんな夢のような未来を夢想した主人公の運命はいとも簡単に打ち砕かれる。所詮は夢のような誘いに騙されたこと自体が、主人公にとっては限りあるヴァカンスなのである。『アデュー・フィリピーヌ』や『オルエットの方へ』と同様に、ここでも主人公の夢のような時間は有限であり、唐突に夢は醒め、永遠の現実に引き戻されてゆく。

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