【第405回】『聖なるパン助に注意』(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/1971)

 スペインのリゾート地に面した海沿いのホテル、映画の撮影隊、俳優たちは既に全員勢ぞろいし、クランクインの瞬間を今か今かと待ち構えている。その場は制作主任のザシャ(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)が何とか取り仕切るが、監督のジェフ(ルー・カステル)は一向に現れる気配がない。この映画は実は土壇場で資金繰りで揉めて、映画に必要なフィルムが到着していない。徐々に苛立ちを見せ始める役者とスタッフたち、そこに遅れてヘリコプターで監督ジェフが到着する。今作はファスビンダー版『アメリカの夜』とでも呼びたくなるような映画撮影の内幕ものである。様々な人種や階級関係、利害関係に置かれた人間たち、それに私生活でも愛憎併せ持つ男と女が一つの現場で共同作業するが、映画は一向に始まる気配さえ見えない。クランク・イン出来ない苛立ちの中、ファスビンダーお得意の倒錯性を帯びた緩やかな崩壊劇が幕を開ける。

ファスビンダーは60年代後半の劇作家時代、同じ釜の飯を食う仲間たちと昼夜問わず共同生活し、プライベートと創作活動が渾然一体化したコミューンのような理想郷を追い求めていた。これが「アンチテアター」と呼ばれる初期ファスビンダー作品常連組の実像である。具体的なスタートは2作目『出稼ぎ野郎』からだが、処女作『愛は死より冷たい』でもこの仲間内での創作活動はしっかりと実践された。ファスビンダーの生き急ぐような旺盛な創作意欲は、自転車操業的だが徐々にアンチテアターを肥大化させたが、コミュニティ内で独裁者のように振る舞うファスビンダーに対し、徐々に不満を表すものが出て来て、グループは多くの離脱者を生んでいった。ファスビンダーが当初求めていたアンチテアターの理念とは、ハリウッド映画のような完全分業システムでの映画作りだったが、徐々に独裁色を帯び始めた製作風景はスペインで撮影された70年の『Whity』で遂に破綻する。69年の段階では椅子に座ったままほとんど指示を出さなかったファスビンダーが裏方スタッフの進行の悪さに激怒し、怒鳴り声や罵声を浴びせることになる。この時の苦い経験をほとんどそのまま実写化したのが今作である。指示待ちでまったく働こうとしない撮影監督、独立を匂わせる裏方スタッフへの強い苛立ち。自己中心的でヒステリックに暴言を吐き続ける監督像は、この『Whity』撮影時のファスビンダーのセルフ・パロディなのである。

愛、信頼、希望などおよそ楽天的な喜怒哀楽を抱えながらホテルにやって来た一行は、やがてパートナーや製作者たちの本音を見て裏切られ、絶望さえも隠そうとしない。かつて『出稼ぎ野郎』において内へ内へと向かった若者たちの集団同様に、ドイツ語が話せないスペイン人ホテルマンをからかう女優、酒を提供出来ないと聞き、激怒して思いっきり殴る俳優、自分の女が監督と親しいことに苛立ちを隠せない製作主任、仮病を使って撮影現場を一刻も早く離れようとするスタッフ、ヒロインの女優を誘惑し、彼女とのひと時の情事を楽しむベテラン外国人俳優などそれぞれが自分勝手な行動を取り、周囲を苛立たせていく。その愛憎入り混じった人間たちの醜悪な感情表現はファスビンダーの真骨頂である。骨格となった物語は、監督ファスビンダー、プロデューサーを務めたウリ・ロメル、製作主任を務めたペーター・ベーリングの主に3人の舵取りの問題だったはずだが、ファスビンダー自身もウリ・ロメルもペーター・ベーリングもそれぞれ別の役柄に回り、そのキャラクターは大袈裟に誇張され、更に醜悪なファスビンダー劇場と呼ぶべき醜い倒錯的な人間模様を露呈するのである。クライマックスでは結局、『祖国あるいは死』という一応の映画は完成するが、この映画のショットが顕在化するのはラスト2、3分にしか満たない。ファスビンダーにとってこの『祖国あるいは死』という映画がどのように製作され、どのような完成形に至ったのかはさして重要なことではなく、自らが思い描いていたコミューン「アンチテアター」の完全なる崩壊だけが印象付けられるのである。こうして僅か2年という短い間に11本もの映画を撮り続けた「アンチテアター」は終焉を遂げることになる。

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