【第421回】『白い沈黙』(アトム・エゴヤン/2012)

 深深と雪の降るカナダ・オンタリオ州の雪に閉ざされた街。ナイアガラフォールズを遥かに臨む街で、フィギュア・スケートの選手として将来を嘱望された最愛の1人娘キャス(アレクシア・ファスト)は、一瞬のうちに忽然と両親の元から消える。小さな造園会社を営むマシュー(ライアン・レイノルズ)と娘は帰宅途中にミートパイ屋に立ち寄る。練習に疲れ、後部座席で横になる一人娘を残して、店内へと消える父親。だが買い物をしているほんの数分の間に、後部座席に残したはずの9歳の愛娘キャスが忽然と姿を消してしまう。人通りのない全面雪に覆われた荒涼とした風景。父親マシューの「キャス」の絶叫だけが辺りにこだまする中、娘からの返答はない。僅か1時間後に警察を訪れたマシューは、何者かによる誘拐を主張するが、犯罪を示す物的証拠も目撃情報もなく、捜査を担当する刑事たちの疑惑の目は自然とマシューに向けられることとなる。実は彼は若い頃に犯罪を犯しており、近年は造園業の不振に喘ぎ、金に困っていた。要するに父親は何者かへの偽装の人身売買を疑われたのである。コーンウォール捜査官(スコット・スピードマン)の疑惑の目に逆上したマシューは躊躇なく捜査官の顔面を殴ってしまう。父親の気迫に公務執行妨害の罪は免れたものの、こうして少女誘拐事件は迷宮入りする。

8年後、マシューと妻で母親でもあるティナ(ミレイユ・イーノス)の関係は破綻している。核家族のトライアングルは最愛の娘を失ったことでそのバランスを失い、今はたまに掛け合う携帯電話での会話だけがかつての夫婦の面影を残す。コーンウォール捜査官の妙な対抗心とは違い、ダンロップ捜査官(ロザリオ・ドーソン)だけは唯一、ティナのことに気をかけており、事件から8年経った今でも彼女への相談や献身的なアドバイスを惜しまない。娘を守れなかったことに自責の念に駆られたマシューは、毎日あてどなく車を走らせてキャスを捜し廻っている。事件が風化したかに見えた8年後のある日、刑事がネット上でキャスに似た少女の画像を発見し、その後も彼女の生存を仄めかす手がかりが次々と見つかる。それはいったい誰が、何のために発したサインなのか?キャスは本当に今も生きているのか?やがてマシューの行く手に待ち受けていたのは、空白の8年間をめぐる想像を絶する真実だった。深深と雪の積もる中での誘拐という題材は一見、同じカナダのドゥニ・ヴィルヌーヴの『プリズナーズ』を彷彿とさせるような作品だが、その厭な世界観の構築ぶりはむしろミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』に近い。90年代の猟奇殺人モノの延長上にある物語ながら、小児性愛者がただの変質者ではなく、現代的なテクノロジーを駆使し、悪質な嫌がらせを被害者家族に見せる「セカンドレイプ」問題がそこには横たわる。

とはいえ、冒頭から異様なテンションで監視する小児性愛者の存在をあっさりと開示してしまうことで、ミステリーとしての一番の旨味は消える。むしろ今作においては彼らが張り巡らせた様々な罠に対して、被害者家族及び警察がどう対処するのかが問題なのだ。ミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』のように、被害者家族たちは随分あっさりと容疑者たちの優越感を許している。それはあの日からずっと忍び寄る魔の手であり、当時9歳だった少女の前に置かれた薄気味悪いPCの画面には、現在の母親の姿が現在進行形で映し出されている。実の母親との断絶という烈しい痛みが、薄気味悪い監視映像により幾重にも感情の表層を捻らせ、痛みを分散させてしまう。もはや子供としての一番良い時期を逸してしまった少女の気味の悪い歌が、余計に観客の気持ちを削いで行くかのようだ。要はいつものアトム・エゴヤンの低体温の痛みの持続という悪趣味極まりない嫌がらせのターゲットにさせられてしまうのである。それに加えて、まんまと罠に嵌められたカップルの顛末が、被害者家族のブーメランのように静かに爆発する瞬間の嫌味ったらしさはない。反吐が出るほど忌み嫌う相手を助けなければ、最愛の人をも失いかねないアンビバレントな感情に支配される刑事。時系列シャッフルというサスペンスの常套手段とも言える何度かのミスリードを経て、辿り着いた真相の胸糞の悪さは言うまでもない。加えて今作では彼らの犯罪の理由が最後まで明かされることはない。極めて未整理で厭なしこりの残る作品である。

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