ほめて箱メッセージへのお返事:版権キャラへのイジリ的二次創作についての個人的見解

 こんにちは。ほめて箱に「盧笙と左馬刻が簓を〜」から始まるメッセージをくださった方へ。まずはメッセージありがとうございます。

自分の創作スタイル上避けては通れない話題かつ、同じ趣旨のメッセージを過去に何度もいただいていたことや、返信が長くなってしまうこと、TLにメッセージ原文をそのまま流すには難しい内容だったことを踏まえ、このような形で返信させていただきます。多くの方には関係ない話題だと思うので、必要ないと思った方はすぐブラウザバックしてください。

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※他の二次創作者さんに言及している部分を個人の特定を避けて伏せさせていただきました。

 まず、メッセージ主さんの言及されている特定の二次創作についてはあまりきちんと見ていませんが、多分喜んでいる人もいらっしゃいますし、憤っている方もいらっしゃると思います。特定のキャラを好きな人は皆あの作品を喜んでいる、ということはないと思いますし、これはどんな二次創作にも言えることです。
 私個人としては、好きだなと感じるものではなかったためいいねもRTもしていませんが、これは個人の嗜好による見解であって、「公に公開して許される類のものではない」とまでは思っていません。ただ、人を傷つけたり、キャラクターを貶める可能性は常に念頭に置いた方がよいものであるとは思います。

 さて、メッセ主さんが例に挙げられた私のフォロワーさんについて。まず、私はこの方々のツイートを悪意あるヘイトの類だと思ったことはありません。盧笙にも簓にも、人との関わり方やパーソナリティに難のあるキャラクターだと私は感じていますし、それを魅力的な点として愛していて、例のお二方もそういった意図でキャラクターについて語っていると感じるためです。本当にキャラクターの欠点まで可愛くてしょうがないんだな、わかるわかる、という気持ちでいいねを押していますし、私自身も盧笙と簓の問題点について「こういうところほんとあり得ない!怖い!でもそこが大好き」と語ることがままあります。例えば悪役キャラが好きな人が、「推しの悪事を擁護しようと思わない!推しはクズだし酷いことをした!そこが最高に好き!」といった趣旨のことを言っているところをよく見かけますが、あれとそう変わらない愛で方の一つだと思っています。

 私は「創作なら何をやってもいい」とは思っていませんが、そもそもキャラクターの問題点の指摘、つまり悪口がそれほど悪徳であると感じていません。言いがかりレベルのヘイトは個人的には好みませんが、創作物は受け手に渡った時点であらゆる捉え方が委ねられており、そこから生まれる批評に個人の合う合わないはあれど、「許されない読み取り方、許されない意見」はほぼ存在しないと私は考えています。

 対して、メッセ主さんが挙げるR18二次創作の公開アカウントでの垂れ流しについては、そもそも「創作なら何をしても云々」の前に、倫理的に問題があります。未成年の目に触れるところに成人向けコンテンツを垂れ流すことは人として許されることではないからです。それが二次創作ならなおさら、キャラクターやコンテンツイメージの著しい低下に繋がりかねません。

 もちろん、キャラクターの欠点を揶揄する創作や呟きも、イメージを損ねる側面を持ちかねない、他者を傷つける可能性のあるものですので、行き過ぎた内容はワンクッションを置くなど、描き手の自制が必要だと考えています。
 しかし、「このキャラクターはこういうところが嫌だ(だから好きだ)」というのは、どこまでが原作に描画された事実で、どこからが受け手の解釈か判別が難しいものですし、感想や語りの一環です。どこまでが無害でどこからが悪質かは、公開する側の匙加減に委ねるしかないと感じています。
 だからこそ常に自省、自戒は必要ですが、これは二次創作に携わる人間全てに言えることです。その中で、「許せるライン、許せないライン」もまた人それぞれですから、余程社会的倫理に反していない限り、何が正しい二次創作と客観的に断言することは難しいと思います。

 私の場合は自分の中の価値観に従って「見れる、好き、共感できる」と思ったものを中心にTLを作っています。その上で、簓と盧笙の欠点も愛していますから、キャラクターへの好意がベースにある欠点を愛でる創作やツイートも好ましく思っています。「このキャラクターが嫌いだ、貶めたい」という意図がベースになったヘイト創作は好みませんが、それも私個人の嗜好であり、ヘイト創作の存在や公開自体を否定する権利は私にはありません。
 受け手の印象や読み取り方は千差万別であり、そこから生まれる二次創作も同様に正誤の判断が難しいものだからです。これにジャッジを下せるのは公式関係者しかいません。

 しかし前述の通り、二次創作に携わるものとして、自分の創作が版権の借り物の上に成り立つものであることは常に意識し続けなければいけません。「二次創作の正誤は判断が難しい」けれど、「好きなら、創作なら何をやってもいいわけではない」、このことを常に忘れず、どこまでを公開するか、常に各々が検討していく必要があると思っています。

 個人的には、二次創作はファンアートの名の下にお目溢しをもらっているものであり、ゆえに原作への好意と敬意のもとに行われるもののみを公開してほしいと思っていますが…公式はそう思ってない場合もあります。多様で批評性のあるファンアートがあるからこそ活性化するコンテンツもあるからです。作品展開の上で、どこまでの反応をファンに許しているかは、本当に公式関係者にしかわかりません。
 ですが、「公式にしかわからないから私は好きにする」が許されるとも思いません。自省、自戒の姿勢は借り物の版権を扱うものの義務だからです。
 また、「好意によるもの」が全て正しいと断言することもできません。好意のもとに行われていても公序良俗に反するファンアートはありますから、社会的倫理とファンとしてのモラル、両方を等しく顧みて活動していく必要があると思います。

 結論として、私は原作に敬意と好意があり、社会的倫理観に沿って公開されている創作を好んでいます。しかし、そこに当てはまるか否かも私個人の価値観によるものです。また、キャラクターの欠点に触れた創作自体を悪であるとは思いませんが、「悪意のあるもの」「好意によるもの」の違いは存在し、その感じ方も個々人により様々。また、社会的倫理や他者への配慮も公開の際に考慮されるべきであり、それらの線引きも人によって異なる。こんな感じでしょうか。
 それらを踏まえて受け入れられるもの、受け入れられないもの、「これはファンアートとして公開すべきではないだろう」と思うものがあり、それらはメッセ主さんの判断とも異なっているのだと思います。

 キャラクターの欠点を愛し、時折言及している身として避けて通れない話題であったため、こんな形ではありますが自分なりに考えてお返事させていただきました。メッセ主さんが個人的に苦痛に感じるものを、自分以外の多くの方が絶賛している状態はきっとお辛いと思います。ですが、多くの方は特定の二次創作を苦痛とコメントすることを避けますから、実際は目に見えないだけで色々な考えの人がいらっしゃると思いますよ。好意的に捉える人もいれば、悪意を感じる方もいると思います。あまりに目に見えるものとご自分の考えが剥離していて辛い時は、少しSNSから離れて、原作のキャラクター達を愛でるのも一つの手です。ご自愛くださいね。

 長文の割に胸を張って断言できることが無く、検討が甘いところも多々あり、乱文で申し訳ありません。後日足りないところに気づいたら、追記するかもしれません。
 メッセージありがとうございました。

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