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我、考える。

9月になりました。
note更新するの自体がすごく久し振りです。緊張します。
気が付けば今の会社に入社して半年以上が経過して、その半分位が家に居るという、何とも異常な事態となりました。
本当はね、アップしてすぐ消すという突発的行動を何回かやらかしておりまして。笑
酔っ払うと碌な事しでかさないなーと思いながら今日もぱたぱたと書いてみます。
相も変わらず酔っ払っているので明日には消しているかも知れません、悪しからず。

9月。
わたしはまた新しい環境に身を置くことになりました。
齢が30を過ぎて、まさかこの歳で未知の領域に踏み込むことになるとは思いもしなかったのですが、これはこれですごく面白いです。
吸収しなければいけないことばかりで、きちんと論理立てて説明していかなければならなくて、今まで感覚派を自称していたわたしにとってはすごく難しくてじれったい。
すごくざっくり言うと、ものやことが売れる感覚って、言葉じゃなくて。
例えば、タピオカが流行ったのだって言葉を無理矢理つければ説明がつくけど、感情の琴線に触れるのってきっと言葉じゃないと思っているのです、個人的に。
でもわたしの仕事はそれを言語化して、可視化して…っていうお仕事で。
かなりざっくりなのだけど。笑
すごく苦手なのです、要は。
結局つらつらだらだら思うままに話をすることは出来るかも知れないけど、それを裏付ける言葉を選んで言語化して可視化してって、実はすごく大変なのではと思って怯えている今日この頃です。
圧倒的語彙力不足。
圧倒的アンテナ不足。

でもでも、すごく面白い。
最近はそんなものをただひたすら紐解いていくノートを書く手が止まりません。
故に、プライベートの日記やら雑記帳が溜まりがち。笑
でもプライベートでも整理したいことはたくさんあるので、わたしに今必要なのはメリハリなのだと思って、日々意識して時間を取っています。
仕事が日常を侵食している今。
ちょっと前だったら、仕事は職場でして、帰ってきたらもう仕事のことは考えずに趣味に没頭してっていうルーティンがあったのだけど。
今はリモートワークをすることも多くて、自分のプライベート空間が職場にもなるっていう少し不思議な感覚を皆が味わっていると思います。
本当不思議な感覚ですよね。

だからこそ。
自分の管理は自分しか出来ないのだなーと常々思います。
そこを、何とか、したいです。

あ、話がずれている。
何が言いたいのかと言いたくてnoteを書き出したのかといえば、日常っていうものは日々変わっていって、気付けば侵食してきた非日常が日常になるのだなぁと最近思った、ということです。
ポケベルがPHSに、そしてガラケーからスマホになったように。
マスクをしていない人を見ると不安になるように。
隣に居た人が離れて、そして今の人になってそれが当たり前になったように。
社会人になって、殆どの時間、ものづくりをしてきたわたしの生活が変わったように。
非日常の連続が日常になるのだと、改めて。
出来ればわたしはそれを非日常の連続だと捉えられる感性を持っていたいです。
子供の体感時間がとても長いのって未知の経験をしているからって説があると思うんです。
大人になるにつれて、知っていることの繰り返しで毎日がとても短く感じるっていうあれ。
でもそれって実はそうじゃない気がしていて。
流すことに慣れてしまっているだけなのだと、思うのです。
情報の取捨選択が出来るようになっているといえばそれまでだけど、でもそれってすごく勿体ないのだなと、最近思いました。
だって毎日毎日、色んなことが変わってる。
気付いたら日が短くなっているとか、今日は最低気温30℃下回ってないとか、子供の頃に持つ何で?っていう気持ちを汲み取れなくなってしまっていて、勝手に解決していて。
今、自分に改めて問い掛けてみたらきっと答えられない筈のものまで、答えを見つけた気がしているのです。
そうじゃないのに。

その感覚を忘れないことこそ、今のわたしに必要なことだと思ったので今日ここに書き記しました。
後から見て、どうかまた気付くことができますように。

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