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盲目的な呪縛から解放されたくて、勇気を出してみた

今日、ぼくは生まれて初めて他人の視線というものを無視してみた。

昨日、仕事でちょっとしたミスを犯した。ちょっとしたという割には、影響は甚大で、棄損額としてはウン十万円になると思われる。

その修復作業をするために、朝一番で出社してこい、という要請があったのだ。

ところが、どんなケースを考慮しても朝一番に打てる手はなく、専門チームの修復結果を待つのが最善の策と思われた。修復できないと判断された場合に備えて、そこまで考えられていたリカバリプランには、どうみても穴があいていそうだった。待っている間に冷静に再検討すべきものだ。焦ると2次被害を引き起こす恐れもある。

コロナ感染のリスクをおって早朝の通勤電車に乗るべきか、状況を冷静に検討してから行動すべきことを押し通すか。迷った。大いに迷った。

ミスして周囲に迷惑をかけてしまっている負い目から、普通の日本の社会人なら盲目的に要請に従うだろう。自分の主張を押し殺して、要請に従ってしまった方が保身できるし、なにより楽だ。

だから、私は、今日、それを拒否してみた。朝一番に出社しなくても良い理由を並べ立てた。

たぶん、組織の人からみたら、こんなミスしておいて、要請を断るなんてありえないと思うだろう。めんどくさいやつだと思うだろう。当然、評価も下がる。

でも、だからなんなのだろう。僕は組織の一員である前に、一人の人間でありたい。組織の中では、交換可能な部品として扱われるのに、なぜか逸脱したことをするのは許されない。巧妙だ。なぜ、自分を部品としてしか扱わない組織に、自分の意思を捨ててまで従わなければいけないのだろう。

評価が下がって、給料が下がっても、最悪クビになったとしても、組織に魂を売らない。

村八分にもなる。圧力もかかる。

自分らしくいつづけるためには、勇気がいる、孤独になる、というのはこういうことなのだ。

こうして私は組織からの盲目的な呪縛から、つかのまの自由を獲得した。

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