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頭の悪い人の学習法

東大卒という下駄をはかず、MITから逃げ出したということすらない
そんなごく普通の一般人が考える頭の悪い人の勉強法について考える
Amazonやマイクロソフト、Googleに入社するために読む内容ではありませんが読んでも大丈夫です。

そもそも論・・・頭が悪いとは、永遠に語られる命題

いつ、どんな時に人は頭が悪いと「思い込むのか」、また、そのように見られやすいのか?思い込みあるいは誤った認識の自己強化を繰り返すことで少しずつ「成りたい自分」に向かって突き進むことになる。
例えば某YouTubeで動画を配信しているアカウントの運営メンバーが大学を中退したとする。これは頭が悪くて授業についていけないから辞めてしまったのかどうかとは無縁ではならない。

頭が良いと頭が悪いの中間はどこにある?

頭が普通、という言葉は生まれてから1度も聞いたことがない。頭という言葉を会話中に使う時は、おそらく(たぶん)、頭を切ってきましたとか頭がいいねとか頭が悪いねはもちろん、頭の回転が速い、頭がおかしいなど、頭部そのものに注目されているのは自明である(言わなくてもわかる)。
「彼は、頭は普通だよ」という会話をしたことはないし、それは彼が平凡な知能を持っているんだよと言いたいのは分かるけれど、この場合は「頭が普通」と言わないと思われる。普通だよ、頭は悪くないんじゃない?と頭部に集中して話をしがちだが、行動にも頭の悪さを覚える人もいる。

頭は知能を指しているのか記憶力なのか、その両方にさらに違う要素を加えたものなのかハッキリとした解答が未だに得られない。

例えば司法試験と医師免許の両方を取得していて、女性を妊娠させて中絶させた男性がいるとする。彼は頭が良いのか悪いのかはっきりしない。
はっきりしないことについて、自分は頭が悪いんだと気が付いた人はそこから学習がスタートしている。
これこそが頭の悪い人の学習法の初心。

頭がわるい、が1人で歩き始めている

さっき言いましたけど頭が悪いと良いの中間がないんです
だれも証明した人はいないし、この先それを証明する方程式や理論がでてくることは無いでしょう。なぜか、人間は良い悪いのものさしを使うことができないから。
自分の頭が悪いと思った人が書いた学習法なので、頭が良い人(そう思っている人を含む)は読む必要はありませんが読んでいいですよ。許可します。



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