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19年12月20日 この世界の(さらにいくつもの)片隅に 公開初日(片渕監督舞台挨拶)をみて

自分「(あ、すみません。この名前も一緒にかいてください) 数年前に川越スカラ座さんで、監督の舞台挨拶とされた「マイマイ新子」が初めての片渕監督作品でした。」
監督「いやあ、お待たせさせてしまってしまってすみません」
自分「いえいえそんな・・今作もすごく良かったです。これからも応援します。」

パンフレットにサインを頂いた時、この作品にどれだけ心動かされ、自分もすずさんと共に歩んだ数年間だったが、こんな稚拙なことばでしか伝えられず。ぎりぎり直前まで制作をし続け、この映画を作り込まれ、天皇陛下と並んでの試写会もあり、公開初日から何箇所もまわられてる監督の右手と、最後にふいに握手いただいて、心がいっぱいになってしまった。

・・・

「8月14日、15日。そして、16日、17日、そしてそれからもずっと、生活は続いていくのだ」正確には覚えていないけれども、そのような台詞があった。終戦記念日の直後が、自分の誕生日。だから尚、この台詞が胸に響いた。少し前にみた「幸福路のチー」でも描かれた「節目」があっても尚続く、生活の連なり。

2016年にみた「この世界の片隅に」は、特別な映画になった。2016年に観た映画の1番だった。だから逆に、劇場では1回(2回だったかな…)しか見ず、サントラを何度も聴き、買えるだけこうの史代作品を買い集め、読み耽った。転職後に初めて買おうと思って買った当作品のブルーレイも、一度も再生できず。テレビでも放送されたが録画だけして視聴できず。最初の衝撃が大き過ぎて、何度も繰り返しみるという事が逆にできなかった。

だから、2019年12月20日公開初日に鑑賞をする事ができた「この世界のさらにいくつもの片隅に」は、久しぶりのこの世界の片隅に映像体験だった。また、クリスマスキャロルからの幕開けに、心揺れた。

感想

私の家(居場所)はどこなのか。
私は代用品なのか。

2016年作でも描かれたが、周りがいう、「よかった」に対して、「歪んでいる」という心のうめき。しかし、周りとはまたコミカルにやり取りをして、生活を続ける。その人々の持つ、そしてすず自身の内面の、二面性、三面性を、より表層化させた人間ドラマとなっているのが、2019年版だった。

2016年作では、戦時中の最中の日常と、暴力(被災)とで、カタルシスある流れが完成された1本。その中では描かれなかった原作にあるリンさんの物語。それが立ち現れる事で、2019年版は、学生時代に好きだった、第二次世界大戦時の恋愛劇が綴られたイアン・マキューアンの「贖罪」(とその映画「つぐない」)を勝手に連想してしまったけれど、リンさんの人生が介入されたことで、周作とすずの関係や人生、居場所が、どこなのかを、より立体的に見せつけられてしまった。

「贖罪」においては「ロンドン、一九九九年」という最終部によって、実はこれまでの物語は・・・という転換がされる。

本作もまた、公開初日池袋シネリーブルにおける監督舞台挨拶で次のような事を話された(メモ参照なので細部が異なっていると思います。ご了承下さい)

片隅監督
「2016年版は不完成とは思っていない。その時すずさんが語った物語。今生きてたらすずさん94歳。私の大叔母は102歳。だからもう一度、すずさんの言葉に耳を傾けた。ぜんぶ聞いて、描くことができて、出来上がった作品を見て、逆に作り手が登場人物の魂を感じられてしまった。」

記録は記憶とは違い、記憶もまた記録とは違う。切り取られたノートの表紙の片隅。

2019年版に追加されたシーンは、2016年版とは、異なり、カットが長く、BGMもなく、テンポもおそい。でも、息遣いも含めた会話のやり取りに、また別の感情があり、片隅の外にも、内にも、どこまでも物語は伸びていく。

原作に近付き、忠実になればなるほど、原作をこえた「すず」という人なりが、より先へと進んでいく。

幼少期のおかいもので、ばけものの籠の中で出会うすずと周作。周作は監督によるパンフレットのインタビューにおいても「自分の側の子供時代の思い出みたいなものに縋りついて、あまり相手のことは考えてない。(略) 周作が自分の側の幻想にとらわれていた時期だからこそ、実態が全然わからないまま、偶像としての記憶の少女を引き寄せようとした。でも、それがだんだん実際のすずさんと一緒にいることによって、周作のなかでリアルになっていっていくわけですよね。そのこと自体は、それで良かったんじゃないかなという気がします。」

しかし映像として描かれる彼等は、ばけものや座敷わらしや白い波のうさぎも爆撃後の歪んだ背景も含め、みなすずの描くすずの物語だ。それはばけものでもなく、座敷わらしでもなく、うさぎでもない。周作の幻想はわかり得ない。2019年版でさらりと描かれた玉音放送後の一角にある太極旗(歌詞の異なる蛍の光)も、それはただのすずの風景。どこまでも深く描かれた片隅の物語をみて、自分もまた、今の仕事と生活の事を考えている。そして描きたい物語を考えている。

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