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司馬遼太郎 「街道をゆく」

司馬遼太郎の
「街道を行く」
シリーズの面白さに最近気付きました。

ニューヨーク編🗽から入門したのですが、とても深く共感したこんな一文に出逢いました。

"キーンさんのものごとをとらえる基本的な感覚は"悲しみ"とゆうものだと私は理解している。
むろん、ここでいう悲しみは悲劇性というものではなく、"人間はなぜ生まれてきて、なぜけなげに、あるいは儚く生きるのかとゆう人間存在の根源そのものについての感応のことである。
その感応は、芸術のみが扱う"

...この一文を読んだとき、今までぼんやりしたカタチで心の中にあったことを、ハッキリしたカタチで差し出された気がしました。

だから、芸術とゆうものに、多くのひとは惹きつけられるのか、
そして、優れた芸術作品が人を裁くのではなく見つめることに徹しているのはこれだったのか、

芸術作品は、上から他者に答えなど与えないのに、人はなぜ、癒されたり救われた、と感じることがあるのか、、

司馬遼太郎とゆう存在は、日本に与えられた知の巨人であったと、読みながらつくづく感じました。

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