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幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その13

 知事・岸田幸雄の失脚と共に歴史から“抹消”された『兵庫県民歌』の他に、岸田が作成を指示した幻の楽曲がもう1曲存在した。
 将来を嘱望されながら若くして世を去った天才作曲家と丹波の農村で歌作りに生涯を捧げた文人の労作に光を当てる。

■北は虹たつ

 岸田が民選2期目(官選時代を含めると3期目)の兵庫県知事在任中であった1952年(昭和27年)、サンフランシスコ講和条約が発効し日本は独立を回復した。
 5年前の日本国憲法公布・施行に続いて各地で記念行事が執り行われ、都道府県民歌では福井県が『福井県民歌』(2014年に曲を全面改訂)、島根県が『薄紫の山脈』がそれぞれ制定されて共に現在まで存続している。

 兵庫県では「講和記念県民自立運動」として各種の行事が執り行われ、その一環で『県民自立の歌』の歌詞募集が行われることになった。以下『広報ひめじ』1952年7月28日号4面より。

講和記念県民自立運動の一つとして兵庫県では「県民自立の歌」を広く一般募集しておりますから振ってご応募願います
一、趣旨
 県民の自立意識を高揚し一層住みよい兵庫県たらしめるため、明るく朗らかで、誰でもがいつでも愛唱出来る兵庫県民の歌を募集する
二、内容規定
1、自立意識を高揚して一層明るく住みよい兵庫県たらしめる意気込をうたったもの。
2、地方的色彩をにじませ愛郷心をそそるもの。
3、年令、性別、職域の如何を問わず親しみやすくかつ平易で歌いやすいもの。
4、独唱にも合唱にも適するもの
5、歌詞の長さは三章以内のこと
三、賞金
 一等 一篇 知事賞状
      副賞として三万円
 佳作 一篇 知事賞状
      副賞として五千円ずつ
四、審査
 県の委嘱する審査委員会において行う
(五~八省略)

 審査結果を伝える記事は未見であるが、10~11月頃に発表が行われたとみられる。入選者は氷上郡(現在の丹波市)山南町に居住する歌人の植木いはをであった。神戸新聞の2001年(平成13年)2月17日付24面によれば、植木は1903年(明治36年)4月に氷上郡小川村(山南町を経て現在の丹波市)小畑で農家の三男として生まれ、大阪の百貨店に勤務していた際に『アララギ』同人となり短歌を詠み始める。戦後は作詞に手を広げて県内外の一般公募で数多くの入選作品を残し、代表作には『龍野市歌』(1951年)や『山南町歌』(1972年)があるがこれらの市町村歌は平成の大合併で廃止されてしまっている。1986年(昭和61年)、長年の創作活動による地域への貢献が評価され県から「ともしびの賞」を授与された。

 作曲は前年の『龍野市歌』でも植木の歌詞に曲を付けた大沢寿人(1906-1953)。神戸出身で米国やフランスへ留学して当時の日本の水準を大きくリードした高度な作曲技法を習得し、ボストン交響楽団では日本人初の指揮者となっている。帰国後は映画や宝塚歌劇の劇伴曲を中心に活動し、1951年(昭和26年)には大阪の朝日放送(ABC)ラジオ開局と同時に専属契約を結び没後の1972年(昭和47年)まで放送された『ABCホームソング』を立ち上げた。県内の自治体歌では『芦屋市民のうた』(1949年)と『伊丹市歌』(1950年)を作曲しているが、1953年(昭和28年)に脳溢血で倒れ47歳の若さで急逝した。

 この『県民自立の歌』の募集要項を見たところ、岸田の在任中から5年前に制定した『兵庫県民歌』の評判が芳しくないと言う意識が県庁内に存在していたことを暗に示唆する記述が散見される。募集要項の二にある「地方的色彩をにじませ愛郷心をそそるもの」はまさにそれだろうし、冒頭に「誰でもがいつでも愛唱出来る兵庫県民の歌」とあるのも「仕切り直し」を強く意識したものだろう。『兵庫県民歌』で入選した野口猛は入選時こそ県在住だったが出身は長崎県で、作曲者の信時潔もまた大阪出身である。『自立の歌』が県外からの応募を受け付けていたかどうかは明らかではないが(少なくとも応募資格を「県出身・在住者に限る」記述は見当たらない)、改めて県出身・在住者の手で「県民の歌」を作りたいと言う意識が根底にあったのかも知れない。入選者が『兵庫県民歌』の最終候補34編では1編も入らなかった丹波の出身・在住者であることも何か象徴的なものを感じさせる。

 入選作『北は虹たつ』の歌詞は全3番からなるが、歌詞は著作権が存続しているのでここでは1番のみを紹介する(JASRAC無信託)。曲は著作権保護期間を満了しているのでこちらを参照

北は虹立つ 日本海
南は瀬戸の 波を越え
万里はばたく 日が来たぞ
海の幸から 船路から
晴れて兵庫の
意気は世界の 朝を呼ぶ

 やはりと言うべきか『兵庫県民歌』が入選作だけでなく最終候補34編のいずれも到達し得なかった「地域性」を明確に打ち出すフレーズは「二つの海」を置いて他にないことを認識させる。『自立の歌』が到達した結論である「二つの海」──他に類を見ない連邦国家が如き県の地域性を表すフレーズとしての日本海と瀬戸内海は1980年(昭和55年)に発表され、2006年(平成18年)の国体開会式で演奏された『ふるさと兵庫』でも同様に継承されている。

(つづく)

写真‥豊岡市城崎町・楽々浦湾の夕日(神戸観光壁紙写真集の素材を利用)

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