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B.LEAGUE NCAA Alumniシリーズ①  コティ・クラーク 

Coty Clarke コティ・クラーク

アメリカ大学バスケットボールOBを応援するシリーズ。
今回は三遠ネオフェニックスでプレーするコティ・クラークを取り上げます。


Arkansas Razorbacks時代のクラーク

アーリーイヤーズ

クラークはテネシー州中部にあるアンティオーク出身のプレーヤーです。
ミュージックシティ・ナッシュビル南東約20Kmに位置する人口は約10万人の町で、ナッシュビルのベッドタウンとして拡大した歴史を持ちます。ナッシュビル国際空港にも近く、ほぼナッシュビルといってよいロケーションといえます。
アメリカ=ニューヨークやロサンゼルスといったイメージが強いですが、テネシー州のある南部はいわゆるアメリカらしいエリアで巨大都市部とは違った空気感があります。バスケットボールファンにとってテネシーというとメンフィスに目が行きがちですが、ナッシュビルはメンフィスに勝るとも劣らない魅力があります。メンフィスがロックやソウルがあるのならナッシュビルにはカントリーミュージックがあります。メンフィスにBBQがあるのならナッシュビルにはホットチキンがあります。バスケットに関してはサウスイースタンカンファレンス(SEC)所属のヴァンダービルト大やポストシーズンの会場としても使われるブリジストンアリーナがありますし、ベルモント大やリプスコム大といった中堅校もあります。
とはいえ、両都市間の距離はたったの200マイル程なのでその気になれば梯子して楽しむことも可能です。
カントリーミュージックを聞きながらホットチキンをつまみにジャックダニエルを飲む。そんな素敵なひと時を過ごせるエリアでクラークは生まれ育ちました。


ナッシュビルのカンバーランド川とバットマンビル(AT&T)


アンティオーク

高校は約250Kmに位置するアラバマ州ピンストンのピンストンバレー・インディアンズでプレーし、卒業後は高校からほど近いジュニアカレッジのローソンステイトコミュニティカレッジに進学しました。


Pinson valley High School 


Lawson state C.C.

JUCOからNCAAディビジョンⅠに転校

クラークはJUCOで2シーズンプレーをした後転校します。転校先はアーカンソー州北西部、人口約10万人の都市・フェイエットビルに位置する州立大学・アーカンソー大学でした。ディビジョン1のハイメジャー・SEC所属の強豪校でJUCOからのトランスファーとしては超一流のステップアップを果たしたといえます。

アーカンソー大学

転校先のアーカンソー大学のニックネームはレザーバックス。愛称はホグスと呼ばれ、他校と被らない赤いイノシシのマスコットが印象的なチームです。チームカラーはカーディナル(赤)と白。ホームのバド・ウォルトンアリーナは19,200席で、これは’23現在ディビジョン1で9番目のサイズを誇っており、ホグスに強力なホームコートアドバンテージをもたらしています。
レザーバックスの歴史を振り返ると黄金期は90年代前半に遡ります。
所属しているSECは南部を代表するハイメジャーカンファレンスではありますが、バスケットに関しては男子のケンタッキー、女子のテネシー以外際立った実績を挙げられていませんでした。この流れを変えたのがアーカンソー大でした。'86年にアフロアメリカンのノーラン・リチャードソンがヘッドコーチに就任すると’90にファイナルフォーに進出、’94にはファイナルでデューク大を破り優勝を果たすと、翌’95には惜しくもUCLAに敗れましたが再びファイナルに進出を決めています。
この黄金期、コーリス・ウィリアムソン、コーリー・ベック、スコッティ・サーマン、クリント・マクダニエルらタレントは揃っていましたが、最も強いインパクトをもたらしたのはヘッドコーチのリチャードソンでした。“40Minutes of hell”と呼ばれるアグレッシブなオフェンスとプレッシャーディフェンスで相手をねじ伏せるスタイルは全米バスケットマップに新たな強豪校が誕生したことを強く印象付けました。


アーカンソー大学 Bud Walton Arene

クラーク在籍時のアーカンソー大学

クラーク所属時、リチャードソンの下でアシスタントとして黄金期を支えたマイク・アンダーソンがHCとして指揮をとりましたが、そのスタイルは師の影響を強く受けたアグレッシブなものでした。
クラーク所属の2シーズン、レザーバックスは残念ながらNCAAトーナメント進出は果たせませんでした。しかしクラークは期待を裏切ることなく素晴らしい成績を残しています。
一年目となる‘13シーズンの緒戦、11月9日の対サムヒューストンステイト大はベンチスタートから26分間プレー。20Pt.4Rd.を記録し素晴らしいデビューを決めました。1月末にはスタートのポジションを確保し、このシーズンは1試合を除く全試合に出場しています。残念ながらチームはSECトーナメント緒戦でヴァンダービルト大に敗れ19勝13敗の成績でシーズンを終えました。
 
最終学年となる二年目の’14シーズン、クラークは全試合に出場、3月1日の対ジョージア大戦で23Pt.3Rd.のキャリアハイを記録しました。
クラークのキャリアを代表するゲームと言えるのは2月27日のケンタッキー大です。敵地・ラップアリーナに乗り込み、オーバータイムの末に勝利を収めました。この時のケンタッキー大のフロントコートはウィリー・コーリー・シュタイン、アレックス・ポイスレス、ジュリアス・ランドル、ダカリ・ジョンソンと質量ともに強力な布陣でした。クラークはその超大学級の相手に対して11Pt.7Rd.2S.2B.の数字をあげチームの勝利に貢献しました。
チームは1月に調子を上げ、NCAAトーナメントが視野に入りかけましたが、SECトーナメント緒戦でサウスキャロライナ大に敗れポストシーズンはNIT進出に留まりました。
NITでは2nd.Rd.でカリフォルニア大に敗れ、22勝12敗の成績で大学のキャリアを終えました。
当時のチームメイトとしては、NBAミルウォークーでプレーするボビー・ポーティスらがいました。

その後のキャリア

大学卒業後、クラークはアメリカ国内のボストン(マサチューセッツ)、ポートランド(メイン)で、海外ではロシア、プエルトリコ、モンテネグロ、カザフスタン、イスラエル、トルコと多くの国でプレーしてきました。
 
そして現在は私たちの国・日本でプレーをし、リーグを盛り上げてくれています。
コティ・クラーク選手のこれからのキャリアも実り多いものになってくれることを心からお祈りします。

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