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三本住庵の墓は阿弥陀寺に有った

白虎隊は会津若松市飯盛山で集団自決をしたが、奇跡的に蘇生した飯沼貞吉は印出ハツに助けられ会津藩塩川本陣に運び込まれた。
この時、最初に治療にあたったのが三本住庵と言う町医者だった。

会津藩塩川本陣は現在の東邦銀行塩川支店の場所に在った。
三本住庵の住まいはその斜め向かい、現在は交差点角の小さな公園になっている所だったらしい。
この後、長岡藩軍医の阿部宗達と吉見雲台が改めて治療を施し、幸いにも飯沼貞吉は一命を取り留めた。

飯盛山から塩川までの移動手段は不明だが、首の3ヶ所の刀の刺し傷からは出血もおびただしいものだったに違いない。

その三本住庵は1891年(明治24年)に72歳で亡くなっており、墓は東邦銀行の向い側の阿弥陀寺に在る。
三本住庵の墓である事を示す標示も無く、墓石の寄せ集め場所のような所に在り、ひどく冷遇されているように感じた。

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