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新年早々、ELSIから考えた

生成AIとELSI

ELSIとは

自分にとって大きな課題だったものが昨年末で一応ひと段落したため、何か新しいことを学びたいなと思って、新年からELSI(エルシー)を軸にした生成AIの講座を受講しています。

大阪大学ELSIセンターによるとELSIとは以下のように定義されています。

「ELSIとは、倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったもので、エルシーと読まれています。新規科学技術を研究開発し、社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題を含みます」(大阪大学ELSIセンター)。

1988年にヒトゲノムの研究が始まった時から始まった(大阪大学ELSIセンター)そうで、生成AIの利用に限ったことではありません。しかし、生成AIはあまりに急速に進化し、一般人も多く利用できることから、これまで以上にELSIが重要になっているのかなと思いました。

生成AIと人との付き合い方

その講座が始まったばかりなのですが、受講していた時に「これは何かに通じるぞ」と思ったことがありました。それが、

生成AIは、人類にとって便利な召使ではない。

という点です。
生成AIは、ある意味すでに人間の能力を凌駕しています。だからこそ、脅威に感じることがあるのだと思います。そして、そのようなものをどう使うかと考えた時、自分たちの都合のいいように使える、自分たちより下のもの=盲目的な召使のようなものに、留め置きたいと考えてしまうのかもしれません。
生成 AIは今の所、感情がなく、疲れることもありません。扱う人に対してNOということもありません。だから、人間の都合のいいように使えそうな気がするのだと思います。そのため、現在、多くの違法画像動画やフェイクニュースが生成AIを使って大量に作られるわけです。ですが、今後それもどうなるかわかりません。そのうち、違法性のある利用を拒否する生成AIが登場する可能性を、今の私たちは否定することができません。

生成AIの話から見る技能実習制度

外国籍労働者と給料

何かを、自分の都合のいいように使いたいというのは、もしかしたら人間の根本的な悪しき欲求なのかもしれません。そうしないために、色々な道徳的道義的概念があるのかなと思うことがありますが、上記の話を聞いた時、自分が受け持ったある1コマの授業での学生の発言を思い出しました。
それは、500人の1年生を前に行う授業だったのですが、自分の専門領域の話を何でもしてよく、私は日本語教育の現場からみた日本における多文化共生についての触りの話をしました。どのくらい外国籍の人が増えているのか、どういう人たちが多いのかという統計的な話から話し始めましたが、その時、「外国籍の人が労働者として増えると、どんないいことがあると思うか」という質問を投げかけました。そうするとある学生が、

「給料を安くすることができる」

と答えたんですよね。そう言う人がいるだろうなと思っていましたが、やはり出ました。
なぜ、日本人と同じ仕事をしているのに、給料を安くできるんでしょうか。しかも、生活費は外国籍だからといって安くなるわけではありません。でも、これは、この学生が悪いわけでも無知なわけでもない。日本の社会にそういう風潮が強いからこそ、こういう意見が出てしまうのだと思います。

技能実習生問題

日本語教育をやっていると、いつも技能実習生問題というのがついてまわります。自分が技能実習生を教えていなくても、どうしても気になってしまう問題です。第3国から日本の「進んだ」技能を習得するために人を呼ぶ。技術を教えてあげるんだから、「給料安くてもいいよね」で、実際に安い。でもその実態は、技能なんて教えてておらず、人手不足を補うための単純労働であることがとても多いことが指摘されています。その上、ただでさえ安い給料のピンハネ、未払い、時には肉体的暴力を伴うハラスメントと、問題を上げたらキリがなく、国内外から現代の奴隷制度と言われることもあります。
もちろん、中には優良な企業もありますが、昔から問題がてんこ盛りで、しかも解決されることなく同じような問題が起こり続けています。最近は社会問題として取り上げられることが多くなり、制度の見直しも始まっています。NHKでも下記のような番組がありました。

外国人技能実習制度(1) 問題点と必要な見直し

自分とは違う何かとどのように付き合うか

自分たちに都合のいいものは、都合よく召使のように使いたい。たとえそれが、自分たちの方が困っていて、だから頼りたいのだとしても、あくまで自分たちが上。自分より色んなことができる場合でも、優位に立つのは自分。

生成AIは機械だけど、技能実習生は人。
人と機械を同列に話すのは何ですが、生身の人に対して上記のように思う人が一定数いるならば、命のない、感情のない生成AIに対して、あくまでも下僕のようにしておきたいという感情はなかなかなくならないだろうと思いました。

生成AIを使いこなしている人はよく、生成AIのことをパートナーやバディということがありますが、講座を聞いて、「なるほどな」と思いました。生成AIが人間と対等に認められるようになるには・・・という話が講座では出てきましたが、それもなかなか興味深かった。それはまた、別途何かを思いついた時にでも・・・。

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