ジーフルクロック

その日、妻は産気づいた。

まだ自分が父ちゃんであるという自覚のない私は時計を買いに出かけていたのだ。

そのデカくて重い時計をようやく運んで帰ってみたら、そらこれがお前の子供じゃ!という感じで迎えられた。

その時はノリでなんとなく上手くいったというか、感動のその日を共に味わった感でイケたけども、後に妻は「なんであのタイミングで時計を買いに行くのかわけがわからない。しかも朝も早くから。ついでに時計屋が開いてたのも腑に落ちない」と何度となく繰り返し言うようになった。

今になれば私自身にもなぜあの朝に時計を買いに行かなければならなかったのかはよく分からない。

最後のへんは実際のところ、私が死んでからの事だから伝聞だが、息子が死ぬまであの時計はノーメンテノートラブルで動き続けたという。

そうしてみて初めて私はあの時計の意味が分かるような気がする。

なぜ掛け時計なのに「おじいさんの」なのか。

あれは我が息子の人生を刻む時計であったのだろう。

ポッポー。

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