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一杯のコーヒーと五分の会話

こんにちは。東南アジア、ときどき世界コーヒー旅に出かけているショウコです。今はバリ島に来ています。

数億年ぶりのnote更新となりました背景には、一杯のコーヒーと五分の会話にあります。

昨日バリ島入りしたばかりにも関わらず、界隈の狭さゆえ、なぜか台湾のコーヒー友だちに遭遇する運びとなりました。

さて本題ですが、結論から言うと5分間のコーヒートークで息を吹き替えしたというお話です。せっかくなので、お気持ちを書き殴らせていただこうと思います!

ツイートのとおりなのですが、かねてより愛してやまないコーヒー愛が最近は右肩下がりでして、アイデンティティ・クライシス真っ只中でした。

趣味は?と聞かれれば、かぶり気味に「コーヒー!」と豪語していたのに、このところなんかしっくりこなくて。

元々は、日々仕事に忙殺され、ついに寝込んでしまったかつてのわたしを救ってくれたのがコーヒーで、その流れでずっとコーヒーを追ってました。

コーヒー器具を揃えて、コーヒー豆をコーヒーショップで買って、自分で淹れるコーヒーの楽しさに出会い、…エスプレッソ沼にハマり、ラテアートにハマり、コーヒーは自分で焙煎できることを知り、焙煎機を買って、…せっかくだから自分で焙煎したコーヒーを販売するようになって、それでもコーヒーに取り憑かれっぱなしで。

ついには、日本を離れコーヒー農園まで足を運ぶようになり、世界各国のコーヒーショップを巡り、スタンディングオベーションをかますほどのコーヒーに出会い、自分が好きなコーヒーはこれ!というものを知り、なんとなく…もう追い尽くしてしまったのかもしれない。

と、思い始めて数年な今。

ただただ習慣で消費するコーヒーと、冷めてしまったコーヒー愛。

そんな寝ぼけた気持ちを抱え、誰にも遭遇するはずはないバリ島の地で、数年ぶりにコーヒー友だちに再会する。

わたしは無神論者だけど、バリ島にいるとどうしても神的な存在を感じてしまう。

最近どうしてるかって話をした後、お決まりのコーヒートークが始まり、友人が目をキラキラさせてこう語る。

「前は、なになにコーヒー屋に通ってたけど、あそこは焙煎度が変わってしまった。少し深煎りになってから通ってない。」

「僕は、ジャバ産の豆はあまり好きじゃなくて、スマトラ産とかバリ産のコーヒーを飲んでる。」

「先日、20年ぶりにタイのチェンマイに行ったけど、すっかり個性を失ってしまった。バリ島のような個性はもう残っていない。正直がっかりしたよ。」

面食らった瞬間である。

些細な会話の中に、確実に散りばめられている彼の片鱗。

わたしが失ったもの、それは物事のディテールだ。思考するのをやめてしまっていたんだ。

これまでコーヒーの大枠を追ってきて、コーヒーを知った気になって、新しいものを追うことをやめ、自分が愛するものや自分の考えを雑に扱うようになってしまっていた。

いや、コーヒーだけじゃない…多分、全体的に。

え!??わたし老害まっしぐら?????

完全に老害まっしぐらな自分に気付いてしまった。何かが間違った方向に進んでいる感覚が、確かにあった。

その時、来店していたお店のスローガン的なメッセージが目に入る。

Imagine you know what you're doing
想像してみてほしい、あなたが何をしているか分かっていると

最近のわたしは「なぜ?」を全然追っていなかった。自分で答えを出していなかった。感想ですら持っていない。何に対しても無関心。無関心でいる理由も、もうなんでも良くなっていた。

いかーーーん!!!

おいおいおいおい、自分の気持ちどこいった???あなたは何が好きで、何が嫌いなの?それはなぜ?なぜ、今そうしているの?

それで、お前は何がしたいの?

コーヒー愛なくなったんじゃなくて、自分の声聞くの止めてたみたい。

どうしてこうなったんだろうって遡ってみたら、一昨年くらいの自分が勝手に「燃え尽き症候群」と自己診断していた。長年の目標をクリアしたためである。

と言うわけで、一杯のコーヒーと五分の会話で、行方不明の自分を探し出すミッションを与えられた

ただ起きて、ただ仕事して、ただ生活して。最近は目覚めるのも嫌で、寝てる時間のほうが長い毎日。目標を失った者の末路を辿っていた。なんの欲もない。

そんな生活で溶けそうだった自分は、本当は何かに殴られたくてバリ島の片道切符を手にしていた。見えない希望がある気がして。

そして、多分今日殴られた。

幸いなことに、奥底で眠っていた熱をわずかに感じた。まだそこにある。

まだ、間に合う。

何がなんでも、見つけなくてはいけない何かがある。辿り着かなければいけない場所がある。

最後にはそんな危機感を胸に、友人を見送った。

今日からまた、人生作り直し。些細なサインも見逃せない。本来のわたしはもっと、もっと、人生を生きたいはず。

そんなことを、思い出させてくれました。

もっと生きよう。


最後まで読んでくださった方、ありがとうございます!

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