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身近な他人の苦労話に興味はない

仕事で尊敬している方とか、高名な先生とかの話は別ですよ。

先日の成仏案件ですが、意外と早く機会が訪れることになったのですが、全く極楽には行けませんでした。

だいたい「自分ばかりが」と、思うときは、他人は「そんなことまで望んでない」状態であることが大半です。

私の好きなアーティストはスガシカオです。アシンメトリーについてスガさん本人もおっしゃられていた歌詞があります。

半分に割った赤いリンゴの いびつな方を 僕がもらうよ。
二人はそれで 大概うまく行く。

スガシカオ アシンメトリー

それって自分のリンゴもいびつだけど、相手に渡した方もいびつじゃないのかと。

自己犠牲を払ったつもりが、相手から見たら 全然、そうじゃないんじゃないかというエピソードです。


今日は上記に類似する気持ちを聞きましたけど、
「いや、それ頼んでないし。なんで自分ばかりがと思うならやらなければよいし、時差出勤やるなら、今ではないし、やる気を出すのも、遅いよ。」
と、思ってしまい、全く相手の苦労話には興味がないことに気づいてしまった。
時間を少し置いたら、相手の思いは昔の私と同じようなものなんだろうと思えるけど、私は自分勝手だから、やっぱりあのときの自分の方が大変だったと、思ってしまう。
それと同じように、昔の話をしたところで、相手は今が大変なので、過去の話などもっと興味が無かろうと察するに余りある。

結論、我慢してもしょうがない。10年前の自分に言いたい。
言うだけ言えばよかった。
自分が頑張ればとか、我慢するからここまで思いが拗れたんだと思う。
当時もっと率直に建設的に話し合えていたら、もっと真剣に考えてくれて行動に移してくれたのではないかと思う。

と、言っても当時は頭が本当にヤバかったので、気づきもしなかったのだけれども。

遠巻きにされていたのだって理由があったのだけれども、なぜそうなっているのかを、もっと根本的なところをお互いに解決しようとしなかったのが良くなかった。

相手からの不満も、私から見れば、今朝と何も状況が変わっていないのに、夕方にキレるかが分からない。
話したあとは向こうも衝動的に言ったのだろうとわかる。
私にして見れば、困らない程度にどうにかしていればよいと思うのだけれども、そうは思わないらしい。
私の基準と向こうが求める基準の認識価値観の違いを共有し、とりあえずなんとかすりあわせをすることにした。
こういうのは気にならない人の5~10倍は気になる人の方がイライラしているはずなので。(当社比)気にならない人があわせないといけない。

まあ、正直、求められても、後ろを見てよ。同じじゃないか。と、思ったり。
無理なとこともあったので、そんなこと言われても。と言わざるをないこともありましたけれども。


と言うことで、そもそも原因になったとはいえ、他人に言ったところで拗らせ部位はどうにもならない事がわかったところです。

以前、仕事で会った方にトラウマ治療の方法を教えてもらったのだけれども、(楽しい記憶で、トラウマ記憶を挟んで脳内上映するというもの)、人生で全然楽しい記憶が思い浮かばなかったのも、問題では…と思ったところです。


書いて結構スッキリしたので、ぐっすり寝ることとします。


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