ルックバックと増田こうすけ先生の自伝

ルックバック

職場で映画が良かったと聞いたもので。
藤本先生の色々な体験や感情を消化するために描いたという作品。
要らん話で恐縮だが、チェンソーマンは子どもがみてるアニメを一瞬みたくらいのド素人なので、分かってないところはあると思う。

読み終わった感想。
作品の感情をなぞるとざわざわする。
まぁ、ざわざわしたことを表現してるのだからそうなんだろう。
それは誰かの正直な感想に160キロストレートを素手で受け止めるくらいの衝撃を受けたり、真剣に取り組んでみたり、諦めたり。
これ、どうやって映画化したんだろう。

これはどういう意味だ?
と、何回か読み返す場面があった。

他の人に勧めるかと言われたら、そんなことない。

藤本先生のざわざわが即効性だとしたら、増田こうすけ先生の自伝は遅効性のざわざわ。

初めてギャグマンガ日和を読んだときは大学生か高校生だったけど、ものすごく面白くてコンビニで立ち読みが困難になるくらいだった。(立ち読みはやめましょう。)

そのため単行本はすぐ買い、何百回と呼んだ。
そのお陰で、完全に三国志は宇宙人が出てると染み付いたし、映画のレッドクリフの映像美とかでは上書きできない。
新刊が出る度に誰も読んでないブログに感想描いていたくらいファンでした。

今もLINEスタンプは高頻度で使います。


増田先生の自伝は自伝なだけあってルックバックと違い、派手な事件はない。

赤塚賞の授賞式や、原付の車輪を盗まれたのは事件だけれども。
増田先生は、20年以上も、常人に考え付かないような作品を作られるので、なんか、ある意味サイコパスくらいの勝手なイメージだった。

私の妄想ではすごく知的な感じで、膝に猫を乗せてニコニコしながら「まそっぷ」とか、描いているのかと思ってた。


だけども。
読んだら、ある意味人間らしく、家族や職場でのやり取りとか、マンガを描くため迷ったり、失敗したり、悩んだり、猫背を気にする(あのくだりは、先生らしい表現)先生が見えてきた。
何となく社会に馴染んで無さそうな雰囲気を醸し出されておられて、正直、先生はマンガ家として軌道に乗るまで何となく生きづらかったのではないか感を感じてしまった。(決めつけですみません。そもそもご本人でないし知らんしな。)

先生と年齢さほど変わらないけれども。
もしかしたら長生きは苦痛かもしれないと思いつつ。先生には長生きしていただきたいと思う。



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