人類は何故主語を大きくして物事を語るのか

A.反応を貰いやすいから

こんな結論だけを書くならいくらでも出来る為、この結論に理論武装をしていく。

・日本人の国民性の問題点

インターネットに根城を構える皆さんであれば占いに対して「一般的に大多数の人間に当てはまる内容を書けばどうこう……」みたいな話をした事はあるだろう。
今回の主語を大きくして語る論調はこれの逆像のようなものだと考えている。

一個人に対して意見を発信したとしよう。
これに対して第三者から反応が得られることは恐らく殆どない。何故ならこの話は一個人に対して与えられているからだ。

ではこの意見を発信する際、対象とする一個人をその個人が含まれる集合に書き換えたとしよう。
その場合、集合に含まれる人間の多くが意見に対し、「もしかして私のことかも……」となってアンサーを返す可能性が高い。結果、意見に対して反応を得られる可能性が高くなるのだ。

さて、ここで何故表題を日本人の国民性と記述したのか。
これはこの抽象化された物事に対し、自己を同一化する動作が占いと言う形で我々の生活に染み付いているからこそ、こう言った所作をする傾向にあり、反応を返してしまうからと考えている。

・何故反応を貰えるような動作を繰り返すのか。

A.承認欲求を満たされるから。

こんな自我の現れるWEBサービスを利用している人間に承認欲求のない人間など居ない。
私がこうして文章を書くのも、帰路の片手間で書く文章に反応を貰えるからだ。

一意見に対して対象を一般化した文章を書き、得られた反応の中から適当なものを選び、同様に対象を更に一般化した文章を書く。

こうすることで容易に承認欲求ループに突入し自分の意見は世間に受け入れられている!と勘違いすることが出来る。
適当な意見を自己の意見に同意するものとすれば、自分のインターネットでの承認欲求などいくらでも満たすことができる。

だからこそ、人間はこうして今日も主語の大きい文章を書く。

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