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沈丁花美空の憂鬱 第2夜

またいつもの席に座っていた。
カウンターの一番はじっこ。マスターが中でお酒を作ったりグラスを磨いている姿越しに、古びた一台のピアノが見える。今日はピアニストが弾きにきている。わたしとそんなに歳が変わらなそうな彼の弾くピアノ。ここについ来てしまう理由でもある。

今日は洗濯洗剤のCMの撮影があった。笑顔の夫とかわいい2人の子どもに、アニーに出てきそうな大きくて毛の長い犬がいて、世界でいちばんのしあわせを手にしているのはわたしです!って感じの主婦を演じた。もう、おひさまのような笑顔を何度も作ったわよ。今時、バゲットとオレンジやセロリが入った紙袋抱えて散歩する人なんている?夫とペアルックとかする?何かどっと疲れたわ。...いや、別にしあわせなのはいいことよ。でも...そういう明るさが、わたしにとっては疲れるのよ。わたしそんなにしあわせで、明るくて、誰からも好かれるような人じゃない。いつも弾けるような笑顔でいられない。そんなのは演技だって、作られた世界だってことは わかっている。でも...時々わたしをすごく疲れさせるのよ。

ちょっと話は跳んだんだけど、彼のピアノの音は、静かで、青にちょっとグレーがかかったような音をしている。でも冷たい訳ではない。そう、わたしの故郷の秋田の海と同じ色。そんな彼の演奏がわたしのこころをなぐさめてくれる。うん、なぐさめるっていうのが適当ね。この音が聴きたくてわたしはついついここに足を運んでしまう。

「ここいいですかぁ?」
間の抜けたような声。どうやらわたしに呼びかけているようだ。なんか子どもっぽい目をした20そこそこの女の子...ってもう座っているじゃない!
「どうぞ」
そっぽを向いてわたしは飲み直す。
「お姉さん時々来てるよね。わたしは美咲。隣駅でキャバ嬢してるんだぁ。お姉さんも水商売?」
もうっ!こういうズカズカ入り込んでくるのが一番キライよ。わたしは一人静かにピアノを聴いていたいのよ。
「まあそんなところね...。」
適当に返事する。嘘はついていないわよ。
「今日はさぁ〜全然指名入らなくてヘルプばっかり。しかも後輩の。もう最悪。オーダーも水割りばっかりでさぁ。シャンパンくらい入れて欲しいよねぇ。まぁこの仕事も向いていないんだけどねぇ。」
...”まあ、その喋り方じゃ仕方ないわよね“ って思わず口を滑らせそうになるのを引っ込めた。のんびりすぎて気が抜けるわ。指名も入らないくせにシャンパン飲みたいとか呑気すぎよ。でも不思議と憎めないヤツね。
「お姉さんはお仕事好き?わたしさぁ、やりたいことわかんないんだよね。なんかぁ?元彼に言 われるがままキャバ嬢になっちゃったけど。ちょっとバイトしてみないとか言われてさぁ。」
出た出た。男に流されるパターン。
...わたしも人のことは言えないか。

その日は3月ももう終わると言うのに、雪混じりの雨が降っていた。
19歳で2つ年上の彼と一緒に故郷の秋田を出た。 高校を卒業して、やりたいことなんて何もなく、進学ももちろんできず...適当にアルバイトなんかしてやり過ごしてた灰色の毎日に終止符が打たれるんだ!って言ったら大袈裟だけど、本当にそう思ったのよ。だってわたし、地元じゃずっと居場所がなかったから。
その2つ年上の彼というのが元夫なんだけど、「金貯めて劇団員になる!」とか言っちゃって、 わたしも彼の夢はわたしの夢!なんて思い込んじゃって、一緒に東京(ここ)へ出てきた。あは、こういうのよくあるでしょう。それこそお芝居やドラマで。
そしてね、 先に上京してた仲間に口訊いてもらって、彼は劇団に入った。わたしもいつもくっ付いてって、何となくそこへ出入りするようになっていった。彼の稽古が終わるまで練習を見ていたり、裏方を手伝ったり...たまーに、代役で稽古に混ぜてもらったり。楽しかったなぁ。
そうこうしている間に、すっかり演じることに夢中になってのめり込んでいった。実家からは当然のように放っておかれたけど、あんなに充実した日々をそれまでの人生でわたしは知らなかった。キラキラとしたエネルギーを纏ったわたしは、眩い輝きと色彩を放つ演劇の世界に夢中だったわ。
...やあね。つまんないこと思い出しちゃった。

美咲は喋る。
「わたしさぁ、本当は絵をやりたかったんだよね。地元じゃ結構有名だったんだよぉ。コンクー ルでいくつも賞もらったりして、おばあちゃんなんか近所の人にウチの孫は神童だ〜とか言って回るから恥ずかしくってさぁ。でもみんながちやほやしてくれるのうれしかったなぁ。で、美大を目指したんだけど、どこにも引っかからなくって。2浪したけど全然ダメでさぁ。わたし、田舎の中しか知らなかったみたい。すごい人なんていくらでもいるんだよねぇ。なんか地元に居づらくなっちゃってこっちにきたの。地元は好きだったんだけどねぇ。みんなが神童の美咲ちゃんって言ってる中で、浪人し続けるのがだんだんつらくって。みんなの目が痛くって。こっちでも、絵を諦めきれなくて、デザイン事務所でバイトしたり、夜間のセミナーに通ったりしたんだよ。でも、バイトじゃセミナーの費用まで稼ぐの難しくなっちゃってさ。たいした実力もないし。親には助けてって言えないし。その時の彼氏に勧められてキャバクラでバイトしてたら、いつの間にかこっちが本業になっちゃった。ま、ありがちな話かぁ。」

何だ、この子も地元に居場所がなくなっちゃってこっちにきたのか。
「へぇ、あなた一体どんな絵を描くのよ?」
あ、いけない。ついつい聞いてしまった。適当に話終わらせようと思ってたのに。
「え?わたし?...そうだなぁ、風景描くのもすきなんだけどねぇ。わたし愛媛出身だから瀬戸内海とか、みかん畑とか。あははは!地元丸出し。でもね、もっとすきなのは人を描くことなんだぁ。人って、いろんな表情してるでしょ?その時によって全然違う。いいなぁって思った表情は絶対に忘れないんだ。一瞬のことなんだけど、絶対に忘れないの。だってその表情にじーんときちゃうから。同じ人なんだけどね、おひさまみたいに輝いている色の表情だったり、海みたいに静かな青の表情とかね、いろんな色があってね。ひとつひとつの表情に感動しちゃうの。わたし人の顔を描くのが一番すき!」
あらあら、さっきのだらんとした感じと全然違うじゃない。てか、テンションが違うわよ、テン ションが...
「あなた絵を描くのがすきなんじゃない。」

...あ、しまった。口をついて出てきてしまった。あ、ちょっと、ヤダヤダ。泣きそうな顔なんかしないでよ。
「...そうだったぁ...わたし絵を描くのがすきだぁ...」
もう、こういうキラキラした青春に付き合っているテンションじゃないのよ、わたしは。
「そうよ、顔に描いてあるわよ。わかったら早く帰って寝なさい。」
「あはははははは!」
「今度は笑うの?もうっ、わけわかんない!」
「あはははは、ねぇ、マスター」
そういって、美咲はマスターから何やらもらっている。

「はい!姉さん。」
美咲がバッグからボールペンを取り出して、さらさらと描いていたのはものの数分のことだった。紙のコースターに描いてあるのはまぎれもなくわたしの横顔だった。 やあねこの子、よく見てる。鼻の形がまんまわたしだわ。
「わたしねぇ、お姉さんの横顔を見てみたいなって思ってたんだぁ。いつも見かけるのは後ろ姿 だったから。今日はお話もできたし、顔も描けてうれしい!お姉さん、きれいなのに何だかさみ しそうでよくわかんないけど、心がズキンってするんだぁ。でも、それがね、何だか惹かれるの。 よくわからないけど、うすーいグレーの陶器の花瓶みたい。」
...やぁね。お子ちゃまのクセに。いや、子どもみたいに純粋だからかしらね。わたしが隠しているとこ見透かされてる。それともこれが絵を描く人の感性なのかしら?
「お姉さん、ありがと!わたしやっぱり絵がすきだぁ。ねぇ、この絵ちょっと写真撮らせて。記念に。」
「何よ、気に入っているならあなたが持ってなさいよ。」
「いいの、いいのっ。お姉さんにプレゼントだよっ!」
そうやってスマホで写真を撮って、美咲は帰っていった。

それから美咲のことを店で見ることは無かった。
数ヶ月くらい経った時、SNSのおすすめに見覚えのある横顔が出てきた。慌ててタップしたら、 「Misaki Ochi」というアカウント名のページが現れた。どうやら美咲は自分が描いた似顔絵を SNSにアップしているようだった。その一番目はわたしの横顔だった。モデルはサラリーマンっぽい人やお水っぽい女の人の絵が多いから、おそらくキャバ嬢は続けているみたい。あの日美咲がわたしにくれた絵みたいに、みんな黒いボールペンで描いたもののようだ。でも、なるほど。あやめの花のように艶やかなママに、タバコとコーヒーの匂いが漂ってきそうなサラリーマン。確かに美咲の言うように、誰もがそれぞれ固有の色のようなものを纏っているみたい。それとも美咲が描くからそうなるのかしら?白黒の絵なのに不思議ね。

それにしても、わたしの横顔、すごく空虚ね。薄いグレーの陶器の花瓶よ。
空っぽの。

あの日の美咲とのやり取りで気づいてしまった。わたし、自分の意思で東京に出てきたと思い込んでた。でも違う。わたしは男にくっついてこっちにきたし、俳優だって成り行きといえば成り行きだ。流されているのはわたしの方だ。美咲は自分の意思で東京にきて、迷いながらも自分のすきなこと見つけてる。

わたしは、わたしの空虚な横顔の絵から目が離せなかった。


続く。

読んでくださってありがとうございます。
みそさんが書いてくれた『沈丁花美空の憂鬱 第1夜』はこちらです。
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