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バンドを辞めようと思った

僕はバンドを辞めようと思った。

理由は沢山ある…
まず、仕事を抱えすぎた。例えるなら蛇口に括り付けた水風船の様な状態になっていた。水(やるべき事)は止めどなく流れ込み、括り付けられた入口からは出す事ができない。水の重さに耐えきれなくなった僕はパチンと弾け水は一斉に外へと流れ出て、あとは小さな幾つかのやる気のないゴム片になってしまった…

リリースを控えていたこともあり担当と流通会社とのやり取り、レコーディングスケジュールの調整、段取り、デモ作成、歌詞カード作成、予算組み、リリースパーティへのオファーなど…が一気に僕の元に押し寄せてきた。加えてデザイン、楽曲提供の依頼、ゼミ(出版のゼミ。雑誌を作るのだがそのインタビューページを8P、口絵を8P担当していた)も並行して進めていた。大学に行き18:00頃帰宅し、そこから朝7:00頃まで作業したり…ご飯が食べられなくなり1ヶ月で体重が6kg減り背中が肉割れを起こしたり…そんな日々が続いた。

自分でもそろそろ破裂しそうだなと薄々感じていたので息抜きに彼女と鶯谷の喫茶デンでグラパン(切り抜いたパンにグラタンが入っている)を食べたり(2口くらいしか食べられなかった)、クソのようなブログを始めて不満を書き出したりしていた。これらの解消法は意外と効果があり、オンオフを切り替え、それなりに自分のテンポを保つ事ができた。しかし、悪い事は重なって起きるものだ。

2つ目はメンバーとの心のすれ違い。先日のライブ(スタジオライブ)、僕たちが1番手だったので会場入り、機材のセッティングを始めてもまだマイク類の設営が終わっていなかったので僕はサクッと自分の機材を拡げ、マイクを立てたり、ケーブルを壁沿いに這わせたり、簡易照明の角度調整、簡単なインプットチェックなど…をPAさんと協力して行った。その間、他のメンバーが何もしていなかった(ずっと音を出していた)…という本当に些細なきっかけで心がすれ違っている事に気付いた。僕たちは出演者なので設営を手伝う必要もないし各々のサウンドチェックをしていても良いとは思うが…僕が一貫して言ってきた"裏方の人を大事にしよう"は1番身近にいたバンドメンバーにすら届いていなかったのかと本当に落ち込んだ。家に帰った後、グループラインで「なんで誰も手伝わないの?調子に乗るなよ…最悪…優しくない人とはバンドしたくない」と吐き捨て連絡先を消した(ラインで不満を言うのは本当に良くない)。この2つの出来事で僕は完全にもぬけの殻になってしまった。

それから1日が経ち、伽藍とした部屋に独りの状態は良くないと思い旅に出る事にした。「(実家に帰るのも良いが交通費高いな…しかも実家に帰ったら二度とこっちに戻って来れないんじゃないか…)」など…熟考して行先を山梨県富士吉田市に決めた。愛してやまないフジファブリック(故)志村正彦の生まれ故郷に行き音楽に対する気持ち、決意を見つめ直そうと思った。

富士吉田市に着いてからも僕はまだバンドに戻る気はなかった。M-2という志村さん行きつけだった洋食屋で煙草を吸いながら考えていた。その時に「ROJACK休ませてください...」と担当にメールした。僕は体調不良でもなんでもなかった。宿についてからも眠れずにずっと考えていた。あまりにも眠れなかったので少し離れたコンビニまで歩くことにした。ボタボタと大粒の雪が...富士吉田市で僕は初雪を迎えた。「クロニクル」を聴きながら...「キミに会えた事はキミのいない今日も人生でかけがえの無いものであり続けます」

翌朝、志村さんに会うために宿を出た。お寺の掃除をしていたお婆さんに「おはようございます...」と声をかけると「あ、正彦さんのね」と場所をすぐに教えてくれた。沢山のコカ・コーラ、アメリカン・スピリットがお供えしてあったのですぐに分かった。手を合わせ心の中で話しかけてみた。「(志村さん、僕はこれから音楽を続けるかどうかですごく悩んでいます)」すごく一方的に。当然だが返事はなく、近くの幼稚園から聞こえる幼い声と車の音だけが響いていた。ふと目を開けると法名碑(浄土真宗は戒名ではなく法名だそう)が目に入った。志村さんの法名には"響"という字が入っていた。ドキっとした...僕はその瞬間なんとなく運命的なものを感じ「これが答えなのかな...」と思った。その後、忠霊塔に登って頂上のベンチで「浮雲」を聴いた。曲には合わなかったけれど、どこか晴れやかな気持ちで聴いた。

忠霊塔の長い階段を下って元祖みうらうどん昭和通り(志村さんの行きつけだった吉田うどんのお店)へ向かった。食べ終え、志村さんを隅々まで感じ富士吉田市を後にした。帰路につく頃には"バンドを辞めよう"という気持ちはなくなっていた。

今回の旅でいろいろな気持ちを思い出した。中学3年生の時に全校の前で演奏した「夜明けのBEAT」...あの気持ち良さとあの日感じた音楽への希望...ボロボロになるまで読んだ『東京、音楽、ロックンロール』...本気で音楽をしようと決意して入れた志村さんの誕生日と命日...一言では言い表せない様々な気持ちを思い出した。

家に帰りまた考えた。僕はまだまだ音楽がしたいと思えた。取り敢えずメンバーにちゃんと話をしよう。そして良い曲を作ろう。また頑張ろうね。

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