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二度目のフィリピン
人生で初めての経由便でマニラに到着した。
台北で二時間ほど待つのが面倒ではあったが、当時としては破格の往復3万8000円くらいだったと記憶している。
マニラに着いたのは午後5時くらいだったと思う。
そして例の中年フィリピーナのマーさんが空港まで迎えに来ていた。迎えに来たのは良いが、案の定びた一文もってきてない。
タクシーの運転手にはマーさんの交通費も含めて全額私が払った。
そして、すぐさまタクシーに乗り込む。サウススーパーハイウェイに乗って、ひたすら南へ向かえばそこはラグーナだ。
後で知ったのだが、それよりも南へ行けばバタンガス、さらにプエルトガレラというビーチリゾートがあるミンドロ島となる。
マニラ空港から一時間半ほどタクシーに揺られてカブヤオに着いた。
マーさんと10歳くらいになる息子が住むアパートにたどり着いた。
最初はホテルを取ろうと思っていたが、年齢的に親子ほど離れているから近所の人たちも変な噂はしないだろうとマーさんは言うので、結局はそのまま狭いアパートの隅っこで就寝することになった。
ただ、若いハポン(日本人)の滞在は暇なタンバイ(ぷーたろう)たちの好奇心を刺激したらしく、お客さんの制限をマーさんがしなければならないほど近所の人たちが殺到した。
滞在初日で疲れているのに暇人たちは人のことを考えない。基本、なんでも自己本位、興味本位。フィリピンあるあるシリーズだ。
これも後で知ったことなのだが、マーさんが私をわざわざ実家に呼んだのには理由があった。
日本にいる時から、私を観察していたみたいで、私の物腰や対応が紳士的で気に入っていたとのこと。英語ができることも好印象だったらしい。
とにかく、自分のお気に入りの友人の女の子を紹介して、あわよくば結婚させたかったらしい。
事実、次の日からやたら若いフィリピーナが毎日家に来た。とにかくマーさんが紹介するわけだ。
だが、当時私は確か21歳。恋愛にそれほど積極的ではなかったし、付き合うなら日本人と、くらいに思っていたわけだ。実際まりちゃんという女性と職場(当時は英語が使えるのでホテル業務をしていた)で仲良くなっていたころだった(結局、自然消滅したが)。
よってフィリピーナを恋愛対象として見れなかったのだ。
ただマーさん曰く、みんなあなたがグワポだって言っているとうれしいことを言ってくれていた。
自分で言うのもなんだが、私は一般の日本人よりほりが深い顔つきをしていると思う。なおかつ体は鍛えていたので筋肉もあった。さらに色白だ。
実はいま列挙した3ポイントはフィリピンでもてるには必須なのだ。
1 ほり深め・・はっきりとした男らしい顔がかっこよいらしい
2 マッチョ・・スペインのマッチョイズムの影響?
3 色白・・ホワイト イズ ビューティフルだと思っている
いずれにしろ、日本では経験したことがないほどモテた。モテキだ!素直にうれしかった。
しかし、だからといってプレイボーイになるのは嫌だった。日本男児としてそんな恥ずかしい真似はできない!とか思っていた。
でも、とにかく食事やパーティーに誘われまくった。さすがに毎日だときつくなってくる。
けっこう一週間で疲れてしまったのを覚えてる。
そして、身体に異変が起こった!
続きはまた今度!
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