承認欲=悪?

 ことに創作者・活動者のあいだでは「承認欲が強い」ということについて、自虐的であったり揶揄の文句とされる場面が散見されますが、
ぼくは、この辺りの欲求が強いことは恥ずべき点としての意識や石を投げる為の対象とするものではなく、健全なこころの働きからなるものだと考えているのです。

上記に関連する、思うこと・話したいことをばーっと勢いで書きますので、テキトーにお付き合いくださいな。

 「マズローの欲求5段階説」というものをぼくは支持しています。
簡単にいうと、欲求というやつにはピラミッド状の5階層があり、1段階が概ね満たさたら段階がアップして別ジャンルの欲が発生する、という説です。
下層には排泄欲や清潔への欲など、生きるために必要だったり当然とされるものがあります。

 今回おはなしするにあたり取り上げることについては、冒頭に持ってきた『承認欲求』が5階層の上から2番目・それが満たされると湧くであろう最上層の欲は『自己実現欲求』、この2点を主とします。
(マズローの欲求5段階説について掘り下げたい方は、ぜひ検索してみてね。わかりやすい画像もあります)



 さて、ここまでで、もしかすると勘の良いかたや、ぼくと心の向きが似ている方はお気付きかもしれませんが
承認欲求は、「あらゆる欲求が満たされたうえで存在できる健全でごく当たり前な欲求の一つ」……と、冒頭で述べたように考えることもできます。

「排泄欲は悪!」「安全欲求強すぎwww」といった揶揄はそこまで見ることもなく、取り上げられる機会は承認欲よりはうんと少ないかと。
これら下層欲求と同様に、生きていてあるべきものだとぼくは捉えております。
ちょっと付き合うには手のかかりすぎる厄介者ですけども。

 欲にあたってのぼくの話をします。
現在のぼくは、承認欲がとても弱い。いわば「たくさんの人にチヤホヤされるより、一部の人に聴き込んでもらえる方が重要かも」という部類に属する感じで。
ここらへんの成り立ちには少年期の家庭環境の悪さとか、色々ヤミ〜な話も絡んではきますけれども、それは置いといて……。
やはり、野心ある方々の数字へ対する向上心には「ふーん、そうなんだ! そっちはそっちで頑張ってね、ぐっどらっく!」というふうな、なんとも他人事な気持ちを抱いております。

 代わりにといってはナンですが、無いとはいわずとも弱いため承認欲が満ちやすいたちだからなのか、自己実現欲求については人一倍かも。
そんなのだから、自分一人になったとしても自分のやりたいことをやり抜く!、そんな職人気質的? な部分が強固でありまして。
またそんな自分のことが割と好きなので始末が悪い!
 こういうある種の珍獣枠を、おもしれーとか変だなあとか、すてきだなとか珍しいなとか、それぞれ感想を抱きつつ近くにいていいねってしてくださったり、構ってくださる方達には感謝してもしきれません。ありがとう!


 ちなみのちなみにちなんだエピソードをひとつ。
ぼくの母親の口癖に、お化粧がうまくいったとき、
「今日のわたしメッチャ美人。誰も言ってくれんから自分で言うわ」
というものがありまして。
それをよく聞いて育ってきたので、
誰かに褒められることを待ってばかりいないで、自分で自分を褒めたら最速!
ってな気構えがほぼ当たり前になっております。
もしかするとここのルーツががっつり根を張ったおかげで、承認欲がセーブされているのかもしれません。

向き不向き・得手不得手はあるでしょうから、こうすれば欲求に食われませんぞ! ……の言い切りは難しいですが、時折はこのように自分で自分を褒めてみるのも、ヤツに喰われない為の一つの策かもしれません。
これはぼくが言わなくても「自己肯定感を上げるには!」みたいな記事でさんざ言われ尽くしたことでしょうけれどね。


 最後に。ぼくは自己実現欲求が、あなたはもしかすると承認欲やその他の強い欲求が、なかなか飼い慣らせず暴走することだってきっとあるでしょう。
ここらへんはお互い、皆してなんとかかんとかやっていけたらなあと、理想を語るのも簡単で。

けれど誰が噛み付いたって、ぼくたちの悩ましい欲求は、きっと健全なるこころのはたらきであるはずです。
何事をもあまり自責しすぎず、各々に適している創作活動への心構えを何処かで見つけられるといいですね。

おしまい。
何回「欲」って書いたかわからん。文章うまくなりたいな。どんとこい自己実現欲!