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奴らはこの状況が、美味しいからこの仕組みを作った。

1:全ては自己責任です。

2:ルールを守らない奴は人生に負ける。

3:ルールを作っている奴らはこの状況が美味しいからこういう仕組みにしている。
自分には関係ないと言ってるやつに近づくな不幸が絡みつき、一生奴らに騙されて高い金を払わされる。なぜ社会はこうなっているのか?
なぜ政党は公約を守らないのか?
誰がどんな意図でこの仕組みを考え作ったのか?
あなたは1度でも考えたことがあるのか?

本質と心理を見抜き、自分なりの答えと自分の個性を出すことで力をつけろ。

国や社会をあてにするな!
他人をあてにするな!
自分の弱点に気づき、そして分析しろ!
自分の人生は自分の力で切り開け!

4:自灯明法灯明をテーマに歩け

「釈迦」の「自灯明・法灯明」の解説釈迦多くの弟子従えラージャグリハから最後の旅出た。アンバラッティカへ、ナーランダ通ってパータリ村(後のパータリプトラ)に着いた。ここで釈迦破戒損失持戒利益とを説いたパータリプトラ後にして、増水していたガンジス河渡りコーティ村着いた次に釈迦は、ナーディカ村訪れた。ここで亡くなった人々運命について、アーナンダ質問答えながら、人々に、三悪趣滅し預流果境地至ったか否かを知る基準となるものとして法の鏡説法をする。次にヴァイシャーリー着いた。ここはヴァッジ国首都であり、アンバパーリーという遊女が所有するマンゴー滞在し四念処三学説いた。やがてここを去ってベールヴァ進み、ここで最後の雨期を過ごすことになる。釈迦はここでアーナンダなどとともに安居入り他の弟子たちそれぞれ縁故求めて安居入ったこの時釈迦死に瀕するような大病かかった。しかし、雨期終わる頃には気力回復したこの時アーナンダ釈迦の病の治ったことを喜んだ後、「師が比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができましたと言った。これについて釈迦は、 「 比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外区別もなく、ことごとく法を説いたアーナンダよ、如来教法には、(弟子に何かを隠すというような)教師握り拳秘密の奥義)はない。 」 と説きすべての教えはすでに弟子たち語られたことを示した。 「 アーナンダよ、汝らは、自(みずか)らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないように 」 と訓戒しまた、「自らを灯明とすこと・法を灯明とすること」とは具体的にどういうことかについて、 「 ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し熱心につとめ、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂い捨て去るべきである。 」 「 アーナンダよ、このようにして比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである 」 として、いわゆる四念処(四念住)の修行実践するように説いた。 これが有名な「自灯明・法灯明」の教えである。

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