#がま口の中に自身のあり様を見る
生地を裁断した後にでる端切れ。そのまま捨てちゃってもいいのですが、残った端切れを見ていると、なにか面白いものが作れそうな気がして、目的のものを作っている時よりもワクワクします。
端切れを見ながら、この口金が合うかもとか、こんなものが入るかもとか、色々妄想しだすとキリがないし、楽しくて仕方がありません。
以前も、端切れを使い切るために自由に継ぎ接いで、がま口やマスクを大量に作りました。
がま口を社会に見立て、継ぎ接ぐことを楽しみながらパートナーシップを表現してみよう。
↑久々に以前の記事を見返すと、私にとって「がま口は社会」らしい。我ながら面白いことを書いています。
今も、緊急事態宣言に便乗して「緊急がま口量産宣言」を「がま口を社会に見立ててしまう」私自身に発令しています。
私にとっての手仕事、手芸は「瞑想」する時間であり、余計な雑念に囚われることなく、ひたすら「うち」側に向き合う手段として有効です。
「がま口作りを通じて自分自身と向き合う」
気分の浮き沈みをコントロールする手段として、今は「がま口作り」にハマっています。
完成品の出来栄えに、その時作っていた精神状況がダイレクトに反映してしまいます。かといって、出来栄えだけを追求しすぎると、出来ない完璧主義な人間なので、片っ端からゴミ箱行きになり、永遠に完成しないので、ほどほどにしないといけません。
なんとなく、ここまで書いていると「がま口=社会」というより「がま口=自らの分身」という方がしっくりきます。
「がま口の中に、自分自身のあり様を見る」
自分が欲しいと思う「がま口」を一度作ってみるのも良いかもしれません。
箱に溢れカエル端切れと様々な口金の組み合わせを考えるだけで、妄想も溢れかえります。
日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。