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チョコレートの泉・最上段のお皿を満たすと・・・

久しぶりにデュッセルドルフの旧市街に行く用事があり、ある店の前を通りかかった。

それは、チョコレート・プラリネの専門店で、ショーウインドーには、チョコレートの泉が、今も健在だった。



とろりと滑らかに流れるチョコレートを見ると、きまって思い出すことがある。

十数年も前のことになるが、心の勉強をしていたころ、

自己愛
自分を大切にする
自分にやさしくする
とは

といった文脈で、仲間の一人が、よく話していたことだ。
彼女は、朗らかに語ったものだった。


ほら、チョコレートの泉ってあるでしょう。
あの最上段の皿は、わたしなのよ。
わたし自身がね、自分を大切にして、
やさしさに満ちていたら、
そのあったかい気持ちは、
わたしからあふれ出てまわりへと
伝わっていくんだよ。
わたしが満たされるのが一番先。
チョコレートの泉の最上段のお皿のようにね。


と。


自分に向き合うまでのわたしは、自分を慈しむとか、やさしくするとかいうことを意識したことすらなかった。


自分にどう接するか、どのように寄り添っていくか。


それはまず、ことばに現れると思うが、その昔のわたしは、とにかく、ビシバシと厳しいことばで自分をコントロールしていた。



だから「こうしたい」というほんとうの気もちは、すくい上げられることはまれで、たいていは、指の間からこぼれおちて、心の奥深いところで固まっていった。


心の勉強では、どんな時にも、さまざまな選択肢があるという視点を学び、わたしは、自分に対して、


よくやったね、という労いのことばや
こういうこともあるよ、と失敗した自分を包み込むことば
大丈夫、と勇気づけることば


などをかけられるようになっていった。


心の底に沈んで硬くなっていたものが、少しずつ、ゆっくりとしずかに解けはじめ、やわらかくなっていった。




つい最近のことになるが、日本に住む友人が、

江本勝氏の著書『水からの伝言』

について、その内容をシェアしてくれた。
胸が熱くなった。


ネットでもこれに関する情報を探してみた。

水にどんなことばをかけるかによって、その結晶がはげしく崩れたり、美しく整ったりするのだ。

『水からの伝言』の中で取り上げられている結晶写真には色々あり、各地の水道水や自然水から始まり、音楽を水に聴かせた後の結晶写真、そして言葉や写真を水に見せた後の結晶写真、また水に祈りをささげた後の結晶写真などがあります。水に音楽を聴かせた後に凍らせて結晶を撮影すると、水が音楽の振動を受け取り、水の結晶は形を変え、見事に美しい姿を見せてくれました。

出典:https://camp-fire.jp/projects/view/137558


出典:同上


どうやら、『水からの伝言』には、反論や、噓だという批判もあるようだが、わたしのなかの声は、しっかりとした口調で、

命を生かすことばをかけていこう

と語りかけてくるのだ。




自分に向かって発することばも、他の人にかけることばも、命を支えていくものであってほしい。

かつて、わたしの心の中にひそんでいた硬い塊も、やさしく温かいことばにふれて、やわらかくなっていったのだから。


わたしの心が穏やかになるにつれて、まわりの人に対しても、それまでとは違う、やさしい接し方がうまれてきたのだから。

命を大切にすることばがあったからこそ、わたしの心は癒されていったのだ。


まだまだ道は続くけれど、やさしさや温かさが、チョコレートのごとく、
とろ~りと流れ出していくように、最上段のお皿を満たしていきたい。


長文になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


Reiko













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