「よろこびを感じられる」と・・・。
春の訪れを喜びとして感じることのできる人は、無意識であっても
「崇高な精神の誕生」を感じているはずです。
本当に「喜べる」ということは「私たちのなかに崇高な力を感じられる」
ということだからです。
これは、昨年の10月から参加している芸術研修で読んでいる
「『魂の暦』とともに」(マンフレッド・クリューガー著)
からの抜粋です。
2月の終わりにここを読んだ時には、
「喜べる」ということは
「私たちのなかに崇高な力を感じられる」ということ
が、わたしには、すぐには理解できず、このことばを
何度もつぶやいていました。
すぐにわからなくてもいい。
ただそれを感じて、意識を向けていくと、
なにか形がみえてくることがあったり、
全く違うことを見聞きした時、
フッとつながることがあるから。
そんなある日、ある禅寺の和尚様が話されていたことを思い出しました。
善とは、命が好む本質的なこと
だと。
そして、命の好きな本質的なこととは、
うれしい
たのしい
やさしさ
あたたかさ
なのだと。
うれしい、たのしい、やさしさ、あたたかさ、
全ては、よろこびにつながるように感じられます。
それならば、
よろこび = 命の好きな本質的なこと = いのちを支える核心
という "方程式" ができるのでは、と思えるのです。
よろこびは、いのちがいきいきと生きていけるために大事なこと。
これが、崇高な力でなくてなんでしょう。
そうなんだ。
わたしの中で、つながった瞬間。
これも、よろこび。
よろこびの芽は、日常の何気ないシーンにも、たくさんありそうです。
春の花が咲き、
虫たちがやってくる。
お日様があたたかくふりそそぎ、
子ども達も外で遊ぶ。
空は青く輝いて、
花々は、青に浮かぶよう。
つらい時、悲しい時、苦しい時も、
「よろこびを感じられる」を
あたためていけたら。。。
そんなことを想っているこの頃です。
Reiko
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芸術研修について、主催者・画房寺子屋の
サイトをご参考までにどうぞ。
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