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蔦と父の想い出

秋の深まりとともに、蔦の葉も赤く染まってきています。
蔦は、亡くなった父がとても好きな植物で、その紅葉を特に愛でていました。

父が他界したのは、20年近く前の年の暮れでした。
その年の秋、わたしは夫と帰国して、父もふくめ家族に会う機会に恵まれました。


その時、父は、大事にしていた裏庭の蔦をわたしたちに見せ、驚きと嘆きのことばを発していました。

5,6メータ―ある塀にからまり、しっかりと育っていた蔦が、葉をすべて失い、干からびた悲惨な姿をみせていたからでした。

害虫がついたのか、寿命だったのかわかりませんが、あっという間に、枯れてしまったとのことでした。


父は、63歳の時、胃がんの手術を受け、胃を摘出しました。
その2年後、すい臓にがんがみつかり、すい臓を一部摘出しましたが、その後、がんは再発することなくほぼ普通の生活を送っていました。

結局のところ、命取りとなったのは、胆石だったのです。
親指の頭ほどに大きくなった胆石が、胆管から静脈道に入り込み、父は、黄疸をおこし入院。


炎症が収まってから、胆石摘出手術を受けましたが、術後の回復がわるく、入院後4週間ほどして他界しました。


枯れた蔦をみて嘆いてから、わずか2か月半後のことでした。
父は、あの時、どんな想いで蔦を見ていたのかと、今でも、父の心中を思いはかることがあります。

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父という人は、繊細で、通常は穏やかな優しい性格の人でした。
でも、ひとたび、何かが気に障ると、烈火のごとく怒りだす人でもありました。

子どもの頃は、父がどんなことで怒りだすかわからなかったので、父と一緒にいると、わたしは落ち着かず、怖かった思い出があります。


必然、父のイヤがることは避けて、言うことには従っておこう、という保身術を、わたしは、知らず知らずのうちに身につけていきました。


でも、かれこれ12年ほど前に、わたし自身が、心、からだ、精神、環境をひっくるめて人をみる総合心理学に出会い、自分を見直してから、父と同じ行動パターンが、わたしにもあることに気づきました。


一家族内・親子間で共通しているのは、遺伝子だけでなく、思考・言動パターンも連鎖のように次の世代へと引き継がれていくのを、身をもって知ったのです。

わたしの場合は、怒りの感情はよくないものとして、その感情を抑え込んでいたのです。


しかし、怒りは、抑圧しても、もちろんなくならず、無意識の中をさまよい、外からのちょっとした刺激に触発され、火山のマグマのようにつきあげてきていました。


自分の意識が向けられていないので、コントロールすることはできず、怒りの感情に向き合うことはできませんでした。

結果として、自動操縦のように、怒りは爆発していたのです。


自分自身に向かい合ってはじめて、父の生い立ちや、こだわりの強い性格に理解をしめすことができるようになりました。

父の心の深いところには、怒りが渦巻いていて、昔のわたしと同じように、抑圧しつづけていたのだろのではないか、

そして、その怒りの感情は、父自身に気づいてもらい、しっかりと受け入れてもらいたかったのではないか、

と感じられるようになったです。


からだの疾患部は手術によって取り除くことはできたけれど、感情はずっと父の心の奥深くに埋もれたままだったのでしょう。

病気の原因は、複合的で、短絡的な関係づけは避けるべきでしょうが、心とからだが互いに関与しあっていることにも目を向けていきたいと願うのです。

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父の人となりや病気を、こんな風にとらえられるようになった時、父は、もうこの世にはいませんでしたが、父に慈しみの目や、労わりの気持ちを向けることができ、わたしの心は軽くなりました。


父が初めて手術をした年齢に近づいている今のわたし。

自分の感情や、多様な面に気づいて、自分自身を受け入れ、しなやかに、
柔軟に生きていこうと心するこのごろです。




Reiko

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