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選択する自由の先にあるもの

友人とオランダの海に行ってきました。

女子ふたり旅🤭

その帰りに、ハーグという街の美術館に
寄って、オランダの画家、フェルメールの名作を観てくるハズでした。



『真珠の耳飾りの少女』
画像はインターネットから借りています。



ところが、


観覧予約が入っていた当日の朝、
美術館からメールがきていて、


『真珠の耳飾りの少女』は、残念ながら
本日は、展覧することができません。


と。


なぜ ???



環境活動家が、抗議行動を実施し、
赤い液体などを投げつけて、
この絵画を攻撃した。


というニュースを知ったのは、
その日の夜、帰宅してからのこと。



メールを読んだときは、

あぁ、今回は、何だかついてない。。。


という考えしか浮かばなかった。


というのも、


その前日、海へ向かう電車の旅は、
トラブル続きになり。。。

路線事故があったため、乗客全員が、
ルート途中で下車せざるを得なくなった
「事件」があったから。


代行バスが来るとのことでしたが、
いつになるやら。


なにせ、片田舎の小さな駅だったので、
タクシーも数台しかなく、タクシーをゲットするのは、至難の業とわかったのでした💦



下車してから、なんとか路線バスを乗り継ぎ、
さらには、オランダ中を鉄道で縦横して、
(そんなふうに感じたんです。)
やっとホテルに着いた時は、夜8時をちょっと回っていて。。。


予定では、午後3時頃には、
一日はやくチェックインしていた友人と
落ち合って、海岸へ散歩に行けるハズ
でした。


なので、美術館からのメールは、

泣きっ面に蜂

みたいなものでした。


でも、



友人と朝食をいただいて、海岸へ行き、

大きくて広い海を見ながら、

はだしで波際を歩いていたら


ついてない


っていう気持ちよりも









前日の渦中に、見ず知らずの方々から受けた


やさしさ

あたたかさ

さりげない気遣い


のことを思い出していました。


ありがとう!の笑顔にもふれて、
胸がジ〜ンとしたことも思い出して、


人っていいな


という心持ちになったのでした。



人は、

破壊的な行為にでることもできる。


でも、


出逢う人に

助けを必要としている人に


やさしい心遣いをさしだすこと


もできる。


全ては、その人の

選択
決意

しだい。


何を選択するか、

その自由は、

その人にあるのでしょう。



でも、その自由を、何のために使うか。

選択の先にある行為

について考えさせられた旅になりました。



Reiko













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