見方と見え方
最近、友人からエネルギーが溢れていると言われ、衝撃を受けたお話をしよう。
私は自分のことをやる気がない、よくない人間だって思っていた。やる気がないというか、生きるだけで精一杯なのだ。仕事をして、食事をして、家事をして、それだけでもういっぱいだ。
環境問題の解決のためにとか、SDGsとかって世界的に言われているけれど、わたしにはそんなことを考える余力なんかない。
自分の暮らしを作るだけで精一杯。
でも、それでいいんじゃないかって思っている節もある。みんなそうなればもっと楽に、幸せに生きられる気がするし、結果的に環境の悪循環が減るのではって思っている。
私は自然の中で、恵みをいただきながら、地域の人々に助けてもらい、愛されて生きる経験を大学生のときにした。そんな幸せな経験をしてからは、あたたかさを感じられるものを選択するようになった。
物を買うときに安いからが理由で選ぶと、簡単に手放すことができてしまう。簡単にゴミの循環を作ることができるということだ。
ゴミを捨てるって結構大変だと私は思う。分別も大変だし、捨てに行くのも大変。
だから、私は長く使い続けられるあたたかさを感じられるもの、使っていて心が潤うもの、を買うようになった。
安いもので暮らしを作った方がお金はかからないけれど、総合的なバランスで見た時に生きていてよかったと思えるのは多少お金がかかっても大好きなもので溢れている世界だ。
もちろん、ある程度お金がないとできないことではある。
けれど、私は愛せるもので溢れた暮らしを送れれば、心が潤っているからか、あまり消費しない気がする。(個人差はあるかもだけど)
こんな話をしていたら、友人が、エネルギー溢れていていいねと私に言った。
衝撃だった。私は自分のことで精一杯で「やりたいこと」とか「〇〇問題解決のため」とか、精力的に動いている人見て辛くなっていたくらいだった。自分はネガティブなエネルギーを持っているから今は何も発信しない方がいいと思っていた。
自己評価としてはこうだったが、彼女は私にエネルギーがあると言ってくれた。
ジョハリの窓の現象かな。
自分の思い込みで、自分のエネルギーを閉じ込めてしまうのは勿体無いと思った。だからnoteで表現してみた。
どのみち、私は私の暮らしを作ることで精一杯だから、何も変わらないと思うけれど、マインドだけ見つめなおしてみようと思った。
ぼちぼち暮らそうじゃないか。
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