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6秒前に生きる

“あたたかい”の化け物

 あたたかい声かけ、やさしい言葉が、そのときの誰かにとっては刃になりうること。負担になりうること。

 あたたかさにもTPOと対象者を考慮する余地は必要で、それを心得ていなかった当時の自分は、もう何人もの人をあたたかさで傷つけてしまったと思う。

 自分が善だと信じているそれは、時に崩れてしまう。一見あたたかく見える言葉をかけて、自分が満足していただけなのかもしれない。自分の視野だけで安易に善だと決めていたのだから、傲慢だった。

・・・

 それでも、やさしさが分け合うほどにふえていく瞬間もたしかにあって。

 そういう奇跡を諦めたくはないし、一方で傷つけた惨劇を繰り返したくもない。

 物理的に相手が見える状態ならば、どのような言動が適切か、あたたかさやさしさの度合いを考慮してベストを尽くせるけれど、公にする文章は不特定多数に届くものであるから難しい。

 どう表現しても、2割くらいの人にとっては傷つけたり不快にさせる化け物に見えるかもしれない。
 
 今の時点では様々な温度とスタイルで表現しては自省を繰り返すような、バランスをとっていく方法でしか対処できていない。まだまだ未熟。もがきたい。

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 受験を控えた仲間へ、励ましでも同情でも懐古でも節介でもない言葉をおくったとき、嬉しかったと言われた。

 言葉は時に不安定なものであるから、言葉だけじゃなく立ち振る舞いで解釈一致されるようにしたい。全ての事象の6秒前に立つ。相手への、自分への、ちょっとの想像力。


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