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あの日のエーミール
「そうかそうか、つまり君はそういう奴だったんだな」
忘れないようにしたい。すべてのものはいつだって善にも悪にもなる可能性を帯びていること。
渡した言葉が、その人にとっては浦島太郎の玉手箱のようになるかもしれないこと。
緩急人間
巷でよく言われている「日常を大切に 毎日を大切に」に出くわすと「そうは言ったってね」と少しもやもやすることがある。
勿論それができるに越したことはないと思っているけれど、人はそんなに、平等に均等に包括的にまるっと愛せるものなのか。私はまだそこまで余裕がない。
というわけで、日常に緩急をつけてもいいことにした。それを肯定することにした。物事にふせんを貼って山と谷をつくる。後回しにすることを悲観的に捉えず、後からでも追いつけば二倍に立派だと考える。最高の日を軸に、歩けなかった日を糧に。
恒常的でいるよりも肯定的でいるほうが、いまの歩幅には合っている。それにこれはある意味、毎日を大切にすることにつながるのかもしれないし。緩急人間でいい。
いつも何度でも
思い返せば、四月の「早く!」は異常だった。目まぐるしく始まってゆく社会で 置いてけぼりを喰らわないための、早く。成績も進路も生き方も信念もはやく決めて、もっと揺らがない何かを、はやく結びたかった。
けれどたぶんこの先も、そんなに劇的なことは起こらない。起こってはくれない。だからこそ、一日一日の小さなハンドルが舵を切っていくのだと思う。すべては紙一重の選択(スイッチ)を積み重ねた結果で成るもの。
“ 玉突きされて入った俺が、404で志摩と組むことになって、二人で犯人追っかけて、その一個 一個 一個が全部スイッチで!なんだか人生じゃん!一個一個、大事にしてえの。諦めたくねえの ”
することもしたいこともいっぱいある。何かを犠牲にして何かをとるのは今は違うかなと思っている。未完成の果実とともに走りたい。小さなことも大きなことも華やかも地道も 廻していたい。
みんな、すこしの杖をいろいろ持って生きているのだと思う。いつも何度でも 立ち上がりたい。いつかの わたしたちのために。
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